「このまま時間が止まれば」天皇陛下が綴った“青春”の日々と、佳子さまが語った両陛下への思い
学習院大学を退学した理由
佳子さまは'13年3月、学習院女子高等科を卒業して学習院大学に内部進学したが、翌'14年夏に学習院大学を中退した。そして、'15年4月、ICUに入学したという経緯がある。'14年12月15日、20歳の成年となる前に行われた記者会見で佳子さまは、学習院大学を退学した理由などについて次のように答えた。 「私は幼稚園から高校まで学習院に通っており、限られた一つの環境しか経験できていないと感じることが多くございました。そのため、中学のころから別の大学に行きたいと考えるようになり、受験いたしましたが不合格となったため、内部進学で学習院に進学いたしました」 「限られた一つの環境しか経験できていない」息苦しさから逃れて、ICUという新しい環境で佳子さまは学んだ。さらに、日本を離れてイギリスの大学で伸び伸びとした留学生活を満喫した経験は、「非常に印象深い期間でした」との言葉どおり、彼女にとっては一生の宝物であったに違いない。 佳子さまの留学から30年以上も前、天皇陛下は、オックスフォード大学マートン校に留学するため、1983年6月末から'85年10月初めまでの2年4か月、イギリスに滞在した。留学生活の思い出などをまとめた『テムズとともに』(学習院教養新書)の中に次のような文章がある。 《どんな小さな通りにも、広場にも、私の二年間の思い出はぎっしりと詰まっているように思われた。再びオックスフォードを訪れる時は、今のように自由な一学生としてこの町を見て回ることはできないであろう。おそらく町そのものは今後も変わらないが、変わるのは自分の立場であろうなどと考えると、妙な焦燥感におそわれ、いっそこのまま時間が止まってくれたらなどと考えてしまう》 陛下は、浩宮徳仁親王時代に留学した。その後、皇太子殿下、そして、天皇陛下と、その立場はより重いものに変わっていった。日本国民が定めた最高法規である日本国憲法の第一章第一条に「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあるが、まさに「日本国の象徴」である「天皇」、その人となったわけである。