『ONE PIECE』考察と陰謀論は似ている?フィクションと宣言しない方がバズる時代にこそ、「フィクションと謳った上でそういったものに勝ちたい」。『行方不明展』を手がけるテレビ東京・大森時生氏とホラー作家・梨氏にフェイクドキュメンタリーの現在を聞く
「フェイクドキュメンタリー」というジャンルのホラー作品が今、熱狂的な流行を見せている。 『大森時生』画像・動画ギャラリー 「モキュメンタリー・ホラー」などとも呼ばれるこのジャンルは、フィクション作品でありながら、ドキュメンタリー番組のような演出がなされるのが特徴だ。 例えばテレビ東京で放送された『イシナガキクエを探しています』は、かつてよく見られた「行方不明者の公開捜索番組」の体裁をとっており、実際に繋がる電話番号が用意されるなど、「本物っぽい」演出が大きな話題を呼んだ。 他にも、映画化された『変な家』はホラー映画としては異例の興行収入を上げるなど、従来のホラーファンだけにとどまらない、大きな人気を博している。 そんな中、近年の作品に特徴的なのは、徹底して本物のドキュメンタリーに寄せた演出をしているにもかかわらず、冒頭で「この作品はフィクションです」と宣言をすることだ。 ホラー作品といえば、かつては『ほんとにあった怖い話』など、「作り話かもしれないけど、本当にあった出来事かもしれない」という真実味にゾッとするような作品が主流だった。 それがなぜ、わざわざ本物っぽい演出をしたうえでフィクションを宣言する作品になってきたのか? そして、これほど多くの人に支持を受け、熱狂的なファンベースを獲得するに至ったのか? その答えを見つけるため、「フェイクドキュメンタリー」に深く関わるふたりにインタビューを実施した。 話を聞くのは『イシナガキクエを探しています』などのプロデューサーを務めるテレビ東京の大森時生氏、『瘤談』などインターネット発の作品で人気を博すホラー作家・梨氏。 『変な家』、『ONE PIECE』、お笑い芸人のライブまで、考察要素をふくむコンテンツを広く横断しながら語られる中で強く感じたのは、ふたりの「フィクションであることを明示する」という信念だ。 「だから僕は、フィクションと謳った上で『フェイクドキュメンタリー』を制作したい」と大森さんは語った。フェイクドキュメンタリーのフォーマットが持つ危険性を理解しているからこそ、真実かどうかを受け取り手に委ねないのだ。 「『ONE PIECE』の考察は陰謀論に似ている」、「『考察』という言葉は無くなればいいと思っている」など、数々の気になる発言も見られた今回のインタビュー。フェイクドキュメンタリーというジャンルを通して、スマートフォンで簡単に情報にアクセスできる現代のさまざまな側面が見えてきた。 聞き手/TAITAI 編集/anymo ■近年のホラーブームの背景と、ホラーの受容のされ方の変化。考察によってユーザーがコンテンツの「当事者」になる ──近年のホラーブーム、特にフェイクドキュメンタリーといったジャンルの盛り上がりには熱狂的なものを感じます。このようなブームが起きるまでには、一体どういった流れがあったのでしょうか? 大森氏: 僕と梨さんが出会ったのが2022年の秋ごろで、そのころのフェイクドキュメンタリーやホラーは文芸雑誌などで取り上げられることはあったんですが、エンタメ領域にはまだ降りてきていない感覚があって。「ホラーは全然見ません」みたいな人も今より多かった気がします。 ──文芸誌などで特集されていたと。それはどういったものなのでしょうか。 梨氏: 簡単に言うと、サブカル批評的な文脈ですよね。 大森氏: そうですね。そのころ既に出てきていた『フェイクドキュメンタリーQ【※】』や『女神の継承【※】』といった作品を対象に、アジア圏でそういったホラーが流行り始めていたことに対する批評や研究がちょっとしたブームになっていたんです。 梨氏: そもそも、怪談の創作の歴史という面を考えると、創作怪談と実話怪談って隔たったものとして捉えられているんです。 例えば、京極夏彦先生のような方が書くホラー小説と、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト【※】』のようなフェイクドキュメンタリー的なものは、全くの別ジャンルとして扱われていたんですね。 その上で、フェイクドキュメンタリー的な手法をフィクションとして使う作品ってあんまりなかったので、フェイクドキュメンタリーといえば実話としての立て付けの物が多かったんです。 大森氏: だから、それまでの作品は「心霊ドキュメンタリー」ですよね。 ──心霊ドキュメンタリー。それはどういうことでしょうか? 大森氏: 例えば僕がプロデューサーを務めた『イシナガキクエを探しています』では冒頭に「この作品はフィクションです」という但し書きが入るんですが、以前の作品は、「あくまで本当である」という体がとても大事で、フィクションだとわかってはいてもそれを絶対に言わないという「お約束」の強いものが多かったんですよ。 それが2021年か2022年ごろから、『フェイクドキュメンタリーQ』のように、冒頭から完全にフィクションだということが打ち出されていて、その上で楽しんでくださいね、という提供のされ方のものが徐々に増えてきたんです。 ──それまでの作品は「本当にあった」という体が大切だったのが、現在はウソだとわかった上でのめり込めるような作品が増えてきたんですね。 大森氏: そうですね。あらかじめ「フィクションです」と前置きされたうえで見始めるんですが、中身を見ると本当のように見える手触りのものが増えてきていて、そういう作品に対する熱狂が生まれている、という感覚があります。本当という前提の上にフェイクを重ねるより、フェイクという前提の上に「本当」を積み重ねていくイメージです。 ──そういった感覚の変化って、どういったものが背景にあるのでしょうか?たとえば昔のネット怪談などは、「ウソか本当かわからない」みたいな雰囲気を楽しむものが多かったと思うのですが、今だと最初から「フィクションです」と前置きされた上で、中に入った時の本物っぽさを楽しむようになってきているということですよね。 梨氏: まず前提を話しておくと、いわゆるネット怪談が投稿された2ちゃんねるの「洒落怖」スレも、「創作でもいいから怖い話を集めようぜ」というものだったんです。 有名な『くねくね』なんかも、「こういう話を作ってみたから読んでください」と投稿された作品なんですよ。その上で、作品がコピペされていくうちに「本当にあったかもしれない話」のように広まっていったんです。 ──ネット怪談の作品も、起源には創作という前置きがあったんですね。 梨氏: 表面上「ウソか本当かわからない」といった楽しまれ方をされていたのは、事実としてあると思いますけどね。 そういった時期を経て、ホラー作品を「フィクションとわかった上で楽しむ」文化に移り変わっていった転機というのは、諸説あると思うのですが……。個人的には2017年から2019年の「SCPファウンデーション」が人口に膾炙した時期があるんじゃないかと思っています。 ──なるほど、SCPですか。超常的な物品や現象の報告書という形で作品が投稿される、創作コミュニティサイトですよね。 梨氏: どういうことかというと、SCPって「ロールプレイの文化」なんですよ。 あれって、SCP財団という秘密組織みたいな物があって、超常的な異常のある物品を収容している。そしてそこに所属する職員の方々がそのレポートを読むという体でさまざまな作品を楽しむという文化じゃないですか。 で、そこで語られているものはすごく本当っぽく語られているけれど、みんなはそれを創作物として楽しんでいる。 ここにはあるのは、嘘か本当かわからない、その間の感覚を楽しむっていうよりも、嘘か本当かわからないっていう「態度のロールプレイ」を楽しむ文化なんですね。 ──SCPファウンデーションのサイトの作りからして、秘密の財団のレポートを閲覧するという体裁で、初めて見た時からロールプレイに引きこまれるような形になっていますね。 梨氏: そういったロールプレイの実感みたいなものが、創作サイトというコミュニティの中で出来上がったんです。 だからこそ、たまに「SCP財団はウソってことになってるけど、実は本当のことを隠しているんだろ、俺は知ってるんだぞ」みたいな人がたまに現れるんですけど(笑)。 それもそれで風物詩みたいな感じで捉えられていて。 そういった「ウソかホントか」論争をするのではなくて、「真贋が曖昧なものを、本当ということにして楽しむ」というリテラシーが広まった土壌として、SCPファウンデーションの存在は挙げられると思います。 ──大森さんは、昨今のフェイクドキュメンタリーがフィクションという前提で楽しまれている背景についてどう思いますか? 大森氏: SNSなどを見ていても思うのですが、ホラーというジャンルに限らず、実世界でもどれが本当でどれがフィクションなのかわからなくなってきている、という感覚があります。 梨氏: リアリティーショーの番組とかですかね。 大森氏: リアリティーショーもそうですし。例えば選挙があったとして、「この人がこういう悪いことをしている!」みたいな話題って、もはやどれが本当でどれが陰謀論なのか見分けがつかない。僕の感覚だと2018年、2019年ころからそういう時代が始まっていると思うんです。 その中で、コンテンツの「ウソか本当か」という真偽の間の感覚を楽しむようなムードじゃない。「そっちじゃない」って感覚が強まってきているんじゃないかと。 現実世界の話題すらもぐちゃぐちゃな状況なので、例えフェイクドキュメンタリーという手法の作品だとしても、フィクションとして楽しみたいと思っている層が増えているんじゃないかって思うことはありますね。 ──SCPという土壌があったという話は、なるほどなと思う一方で、昨今のホラーを楽しんでいる人たちの多さからしたらほんの一部の例なんじゃないかと思います。 SCPを通ってきた、ロールプレイのリテラシーがある人が近年のフェイクドキュメンタリー作品を楽しんでいるというのは理解できるのですが、大森さんの作られているような作品は、そういった下地がない方々にも広く受容されているのではないでしょうか? 大森氏: それで言うと、僕が今作っている番組を見ている層は、ホラーやSCP、なんなら『フェイクドキュメンタリーQ』も通っていない人がかなり多いみたいなんです。 Twitter(X)のデータ分析なんかを見ていてもその傾向はあって…… 。僕自身「それはなんでなんだろう」と思っていて、明確な答えが出ていない部分でもあります。 ──なにか、現時点での仮説みたいなものはあるのでしょうか? 大森氏: ひとつ思うのは、僕が日々、例えばYouTubeショートとかtiktokとかで、 本当に「無為だな」って思う動画を見ることがすごく多いんですよね。結構皆さんもそういった経験があると思うんですけど。 ──(笑)。わかります。 大森氏: そういった気持ちの根源にあるのは、何も文脈が存在しない快感や面白さをどんどん受容していく行為に対する、ある種の罪悪感みたいなものだと思うんです。自分の意思で見続けてはいるんですけどね。 その反動で手触りは不気味で気持ち悪いものの、ひとつひとつのピースに対して自分で文脈を紡いでいくコンテンツへの需要が高まっているのかもしれないです。 「ホラーだから」というよりは、そういった「不気味で捉えどころのないものに、自分で文脈を構成していく感覚」を味わいたい人が、僕のコンテンツを楽しみにしていらっしゃるのかなって思います。 梨氏: そういった例でいうと、ボーカロイドの『メズマライザー』っていう、YouTubeで5000万回以上再生されている曲があって。 ──ボーカロイドですか。また意外なところですね。 梨氏: このPVが、ボーカロイドの初音ミクちゃんと重音テトちゃんが歌って踊って可愛い、みたいなものなんですけど。終盤くらいから様子がおかしくなってきて、歌詞の字幕がめちゃくちゃ文字化けしてくるんです。ミクちゃんの目からもだんだんハイライトがなくなって、どんどんおかしな顔になっていく、みたいな。 文脈としては「なんか可愛らしいパッケージなんだけど、じつは不気味かも」というもので、これが日本や海外でとてもバズっているんですが……。この曲のYouTubeのコメント欄で、視聴者のみなさんが競うように考察をしているんです。 ──コメントを見ると、タイムスタンプ機能を使って「何分何秒に映ったこれは、こういう隠れた意味がある」みたいな考察をしている方が多いですね。 梨氏: そうなんですよ。それで、YouTubeの仕様上、たくさん「いいね」がついたコメントが上位に表示されて、うまい考察をできた人がめちゃめちゃ称揚される仕組みになっているんです。 こういう事例を考えると、「自分で文脈を付与したい」欲求って、意外と昔からあると思っていて。他にも『ONE PIECE』が「伏線考察」みたいなもので第2のバズを起こしたっていう現象も、似たようなところがあるんじゃないでしょうか。 こういった、「自分で読み解いて、それを共有して、自分が一番読み解けたと思いたい」欲求が、ホラー、モキュメンタリーという、点で構成されるメディアとうまくかみ合ったところがあるんじゃないかと思います。 ──主体性のあるコンテンツ、みたいなものなんでしょうか。梨さんや大森さんが昨今作られている作品も、受動的に摂取するようなものというより、視聴者が主体的に作品の中に巻き込まれていくような感覚があって、それが熱狂の元になっているんじゃないかと思います。 大森氏: それでいうと興味深かったのは、『イシナガキクエを探しています』に関連したXのポストを分析したら、20代の方がいちばん多かったんですよ。 一般論としてですが、今の20代の方って、それこそTikTokのようなわかりやすいコンテンツばかり見ているようなイメージを持たれていますよね。ただ実際には、そういったものに対する反動っていうのはあるんだと思います。 「わかりやすさ」一点勝負のコンテンツって、主体性みたいなものから一番遠いですよね。反対に、梨さんの作品とか、フェイクドキュメンタリー的なものは、気づいたら自分も中に入り込んでいる感覚がありますから。 フェイクドキュメンタリーという、虚構と現実の境目を作り出そうとするコンテンツだからこそ、そのコンテンツの内部で歩むっていう意識が生まれやすいんじゃないかなって思います。 ──考察文化の話にも共通するかもしれませんが、不気味なものに対して「これってなんだろう」と思った瞬間に受け身じゃなくなるというか、当事者性みたいなものが発生しますよね。そういったコンテンツって、今の時代では特に求められている気がします。 梨氏: でも、「考察」ってもう10年くらい擦りつづけられているバズワードではあるので。どれだけ細部を読み解けたかっていう遊びって、文芸書とかでもよくあるじゃないですか。文脈があって、鍵括弧でくくられたキーワードの背景をどれだけ想像できるか、みたいな遊び方って最近出てきたものではないですよね。 ひとつ思うのは、そういうコンテンツをやりたいと思っていた人はいたけど、その人たちがちゃんとした地位と立場を持てたのが最近なんじゃないかっていう(笑)。 大森氏: なるほど(笑)。 梨氏: 考察文化みたいなものが10年流行っているとしたら、当時15歳だった人は今は25歳ですよね。 「あの時の輝きをもう一度」みたいな感じのコンテンツが、見かけ上ものすごく新しいものに見えて、お客さん側としてもお金を落とせる年齢になって。 そういうことだとしたら、今流行っている当事者性への欲求が原初をたどると『ONE PIECE』が生み出した考察の欲求なんかに繋がっている可能性はあるかもしれませんね。 ■80年代、90年代のオカルト・ホラーブームと今を比べる。『ミッドサマー』の美しい風景や、不気味な言葉など独特の無毒化の傾向 ──当事者性の話でいうと、今の時代はみんながパソコンやスマホを持っていて、気になったコンテンツを深く調べたりコメントを残したりできる、というのが大きい気がします。 80年代、90年代にもオカルト・ホラーブームはありましたが、そういった社会の環境なども含めて、今の流行と違うところ、あるいは共通点ってどういうものがあるんでしょうか? 梨氏: ひとつ思うのは、パッケージはかなり綺麗になりましたね。 私は世代じゃないのですが、いわゆるオカルトのホラーって「本当にあった怖い○○」とか、「ムー大陸はここにあった」とか、「四肢をもがれた女が……」みたいな感じじゃないですか。でも、今流行っているものって、そういった直接的な言い回しをしないんです。 それこそ『イシナガキクエを探しています』も、何となく不気味ではありますが、その言葉自体は別に怖くないですよね。 最近だと『許可なくあなたの目を見てごめんなさい』っていう、TikTokの投稿があって。 ──不思議なタイトルですね。 梨氏: どろどろした、よくわからないものをスプーンで食べさせられている人がいて、映像としてはそれだけなんですが……。いつの頃からか、この動画を見た人はコメントで「許可なくあなたの目を見てごめんなさい」って書かないと呪われる、みたいなネットロアになったんです。 私が上手いなって思ったのは、「許可なくあなたの目を見てごめんなさい」ってすごく良いフレーズだなっていう(笑)。 怖くはないけど、不気味な感じがしますよね。例えば、同じ映像でも80年代ホラーの頃にタイトルを付けるとしたら、もっと露悪的になると思うんです。 ──たしかに。まさに、「言葉自体は怖くないけど、不気味な感じがする」という好例ですね。 梨氏: そんな無毒化の仕方ってあるんだ、っていう。あとは、『ミッドサマー【※】』とかもそうですけど、まずビジュアルが綺麗になりましたよね。一見してホラーと分かるものじゃないけど、何となく不気味な感じがします。 ──そういった、直接的でない、ほのめかすような表現の方が多くなってきたのって何故なんでしょうか? 梨氏: どうなんでしょう…… ジャンプスケア【※】が苦手な人が元々いたのが可視化されたから、とかでしょうか。 あと、コンビニ本ってありますよね。めっちゃペラペラの表紙で、ほとんどゴシップみたいな内容の、それこそ「四肢をもがれた女が……」みたいな内容のやつです。私はとても好きなんですが、あれって本棚に並べづらいんですよね(笑)。 ああいう「おどろおどろしいもの」って、購買意欲をそそられないんですよ。タイトルで直接的なことを言わないほうがスタイリッシュだという、なんとなくの共通認識と、ビジュアルや印刷などが綺麗になったこと。「おどろおどろしいもの」よりはそういったものの方が、特にホラーを知らない層にとってはハードルが低いですよね。 SNSとかでも、「めちゃめちゃ怖いホラーはあんまりリポストしたくない」みたいな層って、特に若い世代では可視化されているので。そういった層に訴求力があるんじゃないかと思います。 大森氏: あとは、ホラー的なものがステレオタイプ化すると、それ自体がもう怖くなくなる、という感覚もあると思います。いわゆる「ザ・ホラー」なものに類型化できるものは、類型化できる時点で怖くないというか。 ──パターンが認識できちゃうものは、その時点で手の内が見えてしまっている、ということですね。 大森氏: 貞子は今やある種ギャグ的にも捉えられる、みたいなことですね。 そもそも「『リング【※】』や『呪怨【※】』的なホラーは絶対NGです」みたいな層もいれば、「元々ホラーは好きだけど、あれはああいうものだから別に怖くない」という層もいて。 両方の層がちょうどマッチするのが今のホラーなんじゃないかと思います。 デザイン的にはウェルメイドで、普通の写真のようにも思えるけど、なんとなく不安感や寂寥感を感じて怖くなるようなもの。そういった作品に、ホラーが苦手な層も「こういうのならいける」となったんじゃないかと。 ──たしかに、言い方は悪いですが、ホラーがホラーとして類型化されすぎてしまって廃れたというのはあるかもしれません。そしてその表現を変えていった先の作品が、違う層に刺さるようになったというか。 大森氏: おっしゃる通りだと思います。 梨氏: その先にあった第2のコロニーが、今のホラー界隈になったという感じですよね。 大森氏: 2000年代にその類型化したホラーをギャグ的にぶっ壊すような文脈の作品を作られてブームになったんですけど、「ぶっ壊すギャグ」はそんなに長く持たないというのがあって。「裏側」とか「メタ」みたいな文脈のものが流行ると、どのジャンルでも一回廃れてしまうという印象があります。 それを経てちょっと落ち着いた中で、全く違う見せ方のホラーが再興してきているという感じでしょうか。『ミッドサマー』や『ヘレディタリー/継承【※】』のような、類型化されづらいホラーが一気にグッときましたよね。 『フェイクドキュメンタリーQ』なんかも、『ほんとにあった! 呪いのビデオ』みたいなパッケージングをすることも可能だったと思いますが、それをしたら「ああ、こういうやつね」となって、反応しない人も多かったかもしれないです。 梨氏: 『呪詛【※】』なんかも、分解してみると意外とノンジャンルですからね。 ──ホラーの歴史、イコール類型化を崩していくというようなところがあるんでしょうか。 大森氏: ジャパニーズホラーに関していうと、ああいう怖さが全く類型化されていないところに現れたから、日本だけでなく世界中の人が「これは知らない怖さだぞ」となったんだと思います。ファーストペンギンって強いですからね。 その中で類型化が進んで、「『エクソシスト【※】』的なのはもういいよね」となったり、「この作品は『ソウ【※】』みたいなやつだよね」となったりしてしまう、と。それってシリーズのファンからしたら「よっ、待ってました!」みたいな喜びはありますが、ぞわっとするような感覚は得づらいですよね。 ホラーってお笑いと一緒で、感情自体が名前になっている変なジャンルだと思っていて。類型化されて「こういうやつね」と思われてしまうと、強く感情を動かすことは難しくなってしまいます。 梨氏: 例えば「デスゲームもの」というジャンルだったら、類型化を楽しむことができますよね。 あれは「デスゲームというもの」が見たいからという理由で「デスゲームもの」を見ているので、「待ってました!」となっても楽しめるんです。ただ、そういう感情って恐怖とは一番縁遠いものなので、ホラーだと難しいですね。 ──裏を返せば、ホラーというのは「発明」によって一気に跳ねうる、新しいことがそのまま価値になるジャンルだとも思います。 大森氏: それは絶対にそうだと思います。例えば『パラノーマル・アクティビティ【※】』なんかも、監視カメラ的な概念で狭い部屋がどんどんと覆われていってしまう、というのが新しかったわけですし。 梨氏: それでいうと『8番出口』が結構衝撃的だったんですよ。「まだいけるんだ」っていう。そういえばゲームの分野ではまだ誰も発明していなかったな、と思いました。 ──最近だと、『変な家【※】』が大ヒットしましたよね。ホラー映画というジャンルでは、過去一番の興行成績だそうです。単にネットで流行ったからというだけでなく、「お祭り消費」的なものすら感じるのですが、この作品がこれだけの興行成績を収めたことについて、おふたりはどうお考えですか。 大森氏: 『変な家』ですか。難しいですね。原作を読んでた人が行ったからといって、これだけの興行収入にはなりませんよね。 梨氏: 作品のロジックや雰囲気も原作とはガラっと変わっていましたよね。非常にお化け屋敷的なつくりの作品になっているというか。なんというか、この時代のこの時期のエンタメとして刺さった部分はあると思います。 ──この時代だからこそ、ですか。その時代性みたいなものってどういうものなのでしょう? 梨氏: 一言でいうと「共時性」になるんじゃないでしょうか。時間を共有できているという、見かけ上の感覚のことです。 映画って作品が面白いから見に行くというのはもちろんそうですが、若い世代だと特に「みんなが見ているから、話を合わせるために見る」というのも多いですよね。 例えば「ポケモンを全く知らなかったら友だちと話が合わないよね」みたいな、若者の基礎教養としての楽しまれ方があったんじゃないかと思います。 大森氏: TikTokでバズっていたというのも大きい気がします。 「変な家があって、間取りをみたらおかしいところがあった」という入りが非常にTikTok的ですし、原作のキャッチーさが映像によって強化されて、普段本をあまり読まない層などにも届いたんじゃないでしょうか。あと、もう一つ気になっているのは、X(Twitter)で『変な家』の話題をあまり見かけなかったことです。 ──たしかに、一定程度バズってはいましたが、映画のヒット規模に比べたらあまり話題になっていなかったような気もします。 大森氏: ホラーファンって、X(Twitter)をメインに使っている方が圧倒的に多くて、それこそ『変な家』より『ミッドサマー』などの方がポスト数が多いくらいです。 だからやはり『変な家』を見た方は、普段ホラーを見ない層が圧倒的に多かったんじゃないかと思います。 ──歴史的に見ても、元々ニッチだったものの面白さが一般に広がっていく時には、「火付け役」のような方がいらっしゃることが多いと思います。今回のフェイクドキュメンタリーブームには、そういったクリエイターさんはいらっしゃったのでしょうか。 大森氏: そういった観点だと、皆口大地さんの存在は大きかったと思います。 皆口さんは『ゾゾゾ』というYouTubeチャンネルで、「テレビのご長寿心霊ドキュメンタリー」という体の作品を発表されて、そのクオリティが非常に高いことで人気になりました。 その後皆口さんは『フェイクドキュメンタリーQ』を発表されるわけですが、その時は「『ゾゾゾ』の皆口さんが作った作品だから見てみよう」という人が多かったんです。 別に『ゾゾゾ』という、心霊番組風のものが好きな人が『フェイクドキュメンタリーQ』的な作品を好んでいるかというと、全くそんなことはないと思っていて。 「皆口さんの新プロジェクトだ」ということで見てみて、「なんだこれは、面白いぞ」となった人が多かったと思います。そういった、クリエイターを支点とした広がりみたいなものも、昨今のホラージャンルでよく見受けられる点かもしれないですね。 梨氏: たしかに。フェイクドキュメンタリーもそうですし、ネット怪談なんかもそうですが、ちょっと前までは作家が透明化されていたんですよね。 みんな「誰の作品か」までは見ていなくて、本当にコアなファンだけが「〇〇監督の作品が好き」みたいな話をしていたんです。 大森氏: そういう話をするのは本当にマニアの人たちだけでしたよね。 梨氏: それが、最近は作家の名前が前面に出るようになってきた。というか、出しても良くなってきたんです。 これが「洒落怖」全盛期の時期とかだったら、作者がしゃしゃり出てきたらめちゃくちゃ叩かれていたと思うんですが(笑)。 大森氏: 本当に、そこは変わってきたところですね。 梨氏: 「この人が作ったフェイクドキュメンタリーが見てみたい」といった訴求力が、マーケットとして機能するようになってきた、ということだと思うので。そこの風向きが変わってきたというのは大きいですね。 ■『ONE PIECE』考察と陰謀論は似ている?点と点を繋ぐ楽しさと危険性、それを俯瞰しているからこそ、「フィクションと謳った上でそういったものに勝ちたいと思っています」 ──考察文化に対する欲求みたいなものが、昨今のブームの原因のひとつにあるというお話でした。一方で、インターネットにある『ONE PIECE』考察や、『HUNTER×HUNTER』考察みたいなものって、根拠がないものを言いたい放題しているフォーマットだという風にも感じます。 大森氏: わかります。それってすごく陰謀論的ですよね。 ──陰謀論、まさにそうです。そういった考察に対するニーズと、陰謀論的なものに対するニーズというのは、非常に近いところにあると思うのですが。 大森氏: 僕もまさにその認識をしています。なんなら僕は「考察」という言葉は本当に無くなってしまった方がいいとさえ思っていて。そういったさまざまなものが「考察」という言葉で一括りにされてしまっているのが非常にややこしいんですよ。 例えば、作品の中で起きている事象の間の部分、説明されない空白のストーリーを想像して、不気味になったり、感情を動かされるというのは、ホラーに限らず、映画などでも妥当な楽しみ方だと思います。 ただそれとは違って、「このシーンだけ登場人物の瞬きの回数が多いから、こういうサインになっているんだ」とか、「背景に一瞬映りこんだ物品にはこういう隠された意味があるんだ」というのは、「バイデン大統領の首のシワが怪しいから、彼はゴム人間に違いない」というのとあまりに近すぎるというか。 ──たしかに。ホラーというジャンルだと特に、そういった見方をされてしまいがちかもしれません。 大森氏: これは考察という言葉が独り歩きした、考察ブームの功罪でもあるとは思うのですが、いま最前線で「考察」って言われているものには、あまりに陰謀論的なものが多すぎると思っているんです。 だから僕は、こういったインタビューを受ける際には「僕の作品は『考察もの』ではありません」と積極的に言うようにしています。 だから『ONE PIECE』の考察も、過去の時系列を整理して、「次はこういうストーリーになるんじゃないか」と想像するのと、「このシーンのこのコマには、こういう隠された意味があるんだ」と考えるのはかなり別物だと思いますね。 後者のような、ロジックを無理やり形成するための、考察自体が目的になっているような考察にはかなり怖さを感じます。 ──梨さんはいかがでしょうか。「考察」という言葉に対して、分類のようなものはあると思いますか? 梨氏: 大森さんの話は「考察」という行為自体のなかに種類が分かれている、というものでしたが、考察をする人、受け取る人の層にも違いがあると思っていて。 『ONE PIECE』の例で言うと、「シャンクス複数人説」という、典型的なヨタ考察がありますよね。「シャンクス」というキャラの名前は複数系で、単数形が「シャンク」だというものです。 あれを普通にヨタとして楽しんでいる人というのは、つまるところフェイクドキュメンタリーをフェイクとして楽しんでる層だと思うんです。 一方でそういったものを「そうだったんだ、真実に目覚めさせてくれてありがとう」と言って信じ込んでいる層というのもいるかもしれないじゃないですか。 どちらの層も見ているものは同じなんだけど、見ている人によって文脈が変わってくるというのも、「考察」の難しいところだと思います。 ──そういった危険性がありながらも、「ONE PIECE」考察のようなものはかなり人気のコンテンツですよね。陰謀論も、それ自体がハマりやすい構造になっているように思います。見る側が強引にロジックを繋げているコンテンツなので、各々が勝手に妄想した内容が集合体としての強度を持つというか。この仕組み自体は強固なもので、梨さんだったらエンタメ作品で似たようなことができるんじゃないでしょうか(笑)。 梨氏: やれるとおもいます(笑)。シェアードワールド的な楽しみ方ということですよね。 同じ世界という大きな水槽の中をシェアしていて、そこから取り出すものが場所によって違うから、結果として群像的に見せられるという。 ──そういったコンテンツの構造自体は、拡散性や「ハマりやすさ」といった点で強味があると思います。 梨氏: 当時私は中学生くらいでしたが、『艦隊これくしょん -艦これ-』って爆発的に流行りましたよね。スマホ時代になってからは『Fate/Grand Order』や、最近では『ウマ娘 プリティーダービー』がすごく人気です。 こういった作品たちって、「歴史」というとんでもなく大きい文脈があって、そこに乗っかれるという強さがあると思います。 ただのエモいストーリーじゃなくて、元々のエモい文脈がある上でのエモいストーリーというか。それってコンテンツを作る上では非常にありがたい構造ですよね。シェアードワールドというのはそこをイチから作るという試みだと思います。 ──そういった意味では、そういった作品は歴史的な事実の二次創作フィクションという考え方になりますよね。そこを現代化したときに、例えば「フェイクニュースを本当にエンタメ化する」といった作品は、非常に危険性の高いものですが、誰も挑んでいない領域なんじゃないでしょうか。 大森氏: 陰謀論の気持ち良さみたいなものって、点と点の繋がりを自分で見つけたと思えちゃうせいなんですよね。実際にはたくさん導線が引かれているんですが、「こことここは繋がっていたんだ!」というものをなぜか自分で見つけたと思えてしまうんです。 だから、現代的なシェアードワールドのコンテンツというのがあるとしたら、全く違う媒体で同時多発的にコンテンツが発表されて、どこかでそれらの繋がりを気づかせる、といったものになると思います。 ──そういったギリギリをついた「真実に気づく」ようなコンテンツが、これから先の将来に生まれる可能性があるとして、一方で今のフェイクドキュメンタリーは「フィクションです」と謳った上で流行していますね。 大森氏: それで言うと、ただバズりを狙うだけなら、「フィクションです」と言わない方がバズると思っています。ただ、今話していた陰謀論のような危険性もあるし、そういった倫理の問題でフィクションだと宣言するようになってきているというのも、今のホラー界隈にはあると思います。 ──ここまで話した通り、陰謀論的なものの気持ち良さや構造の強さは明白です。もしその倫理のラインを踏み越えてしまった作品が出てきたときには、それが覇権をとってしまうんじゃないか、という危機感もあります。 大森氏: だから僕は、フィクションと謳った上で陰謀論に勝ちたいと思っています。 そういう倫理が崩壊してしまったらいくらでも最悪なことができてしまいますし、それこそ今やっているフィクションの作品自体が陰謀論の入口になりかねない、という世界があまりにも近いですから。 一方で、そのような作品は近々出てしまうんだろうな、とも思っています。 ただ、最近はファンの方たちも「フェイクニュースや陰謀論的なものは許さないぞ」という態度の人が増えているので、そういった方々が拒否することで、意外とバズりはしない可能性もありますね。 ──ユーザー側のリテラシーも高まってきたということですね。 大森氏: まあ、実現するかは別として、やりきったらすごいものになるフォーマットだとは思います。 梨氏: 私も5、6個くらいはアイデアを思いつきましたもん。 大森氏: 自分はテレビというメディアの人間でもあるので、できる限りそういった暴力性みたいなものには自覚的でありたいと思っています。 ──電ファミもネットニュースのメディアなので、そういった扇情的なニュースには迎合しないようにしたいと考えています。受け手側の皆さんも最近は「フェイクニュースは広めないようにしよう」といった風潮の高まりがある一方で、そもそもインターネットに触れる人の総数が増えていますから、そういったリテラシーのないままにのめり込んでしまう方がいるのも事実です。 大森氏: だから、そういった矜持やプライドみたいなものも結局はいつか粉砕されるんだと思います。その先に何が待っているのかは分かりませんが……、だからこそ、ささやかなプライドを持ち続けるということでしかないのかなと。 梨氏: 陰謀論とは少し違うかもしれませんが、「どちらにも転びうるな」と思った瞬間があって。 私は『つねにすでに』という、ウェブ上で連載されるマルチメディアプロジェクトをやっていて、既に150万PVくらいあるのですが、その初期のころに公式でDiscordサーバーを作ったんです。 サーバーの存在自体にも物語上の立て付けはあるのですが、メタ的に言うと、最新話が投稿されたときにみんなが考察して楽しめる場があったらいいよね、ということで作ったんです。 これ自体にメリットはすごくあって、どういった層のユーザーさんがどれくらいアクティブなのかというのが可視化できるようになったんですが……。それと同時にX(Twitter)で『つねにすでに』の話をしている人がいなくなったんです。 ──X(Twitter)という開けた空間でクラスターを形成していた人たちが全員Discordサーバーの中に集まってしまったんですね。 梨氏: これっていろいろな意味で危険だなと感じました。一度閉じた空間に集まってしまうと、そこから抜け出せなくなるんです。 コアな層に熱狂を生み出すという点ではものすごくありがたいんですけど、もし私が闇落ちしたときにこれをどう使うかと考えたらだいぶ怖いなと思ったんです。 大森氏: 物語を通じてDiscordサーバーに参加するという行為も非常にロールプレイング的じゃないですか。そしてそのロールプレイと実際の行動の境目って本当に曖昧だと感じます。 そういったロールプレイを繰り返した先に、梨さんのネジがずれた時に起こることっていうのはいくらでも……。 梨氏: いくらでもできますよ。 大森氏: そういった主体性みたいなものがコンテンツにあると、フックにもなるし、盛り上がりのきっかけにもなるんですけど、制作側としてはそういった怖さを感じちゃう時もありますね。 梨氏: そういった点で、あらゆる意味で危険だなという知見を得られたので、ありがたかったです。 ──いろいろなことが分かっている梨さんが闇落ちしたらヤバいという怖さもあるかもしれないですね。 梨氏: (笑)。 大森氏: 梨さんのファンも気づけないと思うんですよね。なんというか、みんなで国会に乗り込んだ後に気づく可能性があるっていう。 梨氏: 私が切腹した後くらいに気づくっていう。 大森氏: 国会の真ん中で。 一同: (笑)。 大森氏: でも、Qアノン【※】とかで本当にそうだった人も多いんじゃないでしょうか。 実際に行動を起こして、機動隊に押さえつけられた瞬間に「どこかで道がずれてたかも」って思った人がいるんじゃないかっていう。主体性のあるコンテンツとかロールプレイング的なものって、どうしてもそことは不可分ではいられないと思うので。 作る側としても、楽しむ側としても意識しておいたほうがいいというのはあるかもしれません。 ■大事にしているのは「知っているものが1個ズレた時に生じる感覚」。誰もが知っているフォーマットが破壊される恐怖 ──考察の分類や陰謀論の話もそうですが、ネット発の人気クリエイターの方は、そういった点の解像度が高いと感じます。お二人の創作論みたいなものも伺っていきたいのですが、そもそもお二人が出会ったのはどういう経緯だったのでしょうか? 大森氏: 最初のきっかけは、2022年の10月ごろで、僕が『このテープもってないですか?』という番組と、お笑いコンビのAマッソの『滑稽』というライブの企画を同時進行していたんです。 『このテープもってないですか?』は、家庭にビデオカメラが普及しだした時代の、視聴者から送られてきたテープを見るという昭和の番組のオマージュ企画に、視聴者から送られてきた呪いが時代を超えて伝播する、というフェイクドキュメンタリーだったのですが、そういった作品を作るときに、どういった方と組むのが良いかな、と考えていたんです。 その時に、梨さんが出されていたnoteの『瘤談』を見て「これだ」と思って声をかけました。Twitter(X)のDMを直接送ったのを覚えています。 ──ご自分で直接連絡を取られたんですね。もっとこう、界隈の飲み会みたいなもので知り合ったような形を想像していました。 一同: (笑)。 大森氏: それから梨さんと『このテープもってないですか?』のお仕事を進めていったのですが、その中でお互いが引用するものだったり、方向性だったりが通じる感覚があったんです。 全部話さなくても「ツーカー」で済むというか。それが新鮮で、『滑稽』の方も是非一緒にやりませんか、となりました。 ──コミュニケーションの通りやすさみたいなものがあったんですね。 梨氏: 作品を作るときに、ニュアンスを伝えるのって難しいじゃないですか。 テレビ局でのお仕事だと特に、なにか作品を引き合いに出して例えた時など、普通はその作品自体のことから説明しないといけないので、そこが通じるのがありがたかったです。 ──一方で、そういったニュアンスを作品にするときは、視聴者に伝わる形にしていく必要がありますよね。優秀なクリエイターさんは、そういった言語化の能力も高いと思います。 梨氏: それでいうと、私は「言語化」という言葉の弱火アンチなんです。「小説を書いているのに何を言っているんだ」と思われるかもしれませんが(笑)。 一同: (笑)。 梨氏: 私の場合、言語のことはあまり信用していないので、「感情のロジックとしてこうなった」というのが分かっていれば、そこに言語を付与する必要はないと考えている派閥なんです。 映画なんかで、「モチーフとしてのシーン」ってありますよね。作中の人物の心象風景とか、そういうもののモチーフをバッと出すようなシーン。 あれっていわゆる「三段論法的なロジック」ではなくて、「その人物にとって大切なものだったから」というような、論理では成り立たないロジックによって成り立っているものだったりします。 大森氏: 「ドツボにはまる」という言い方が正しいかはわかりませんが、コンテンツを数式的に捉えようとすると、なにか違う出口が待っているような気がしますね。 ──そういった感情やニュアンスをうまく伝えられる、伝え方の巧拙がクリエイターさんの力に直結するのかな、と思うことがあります。 梨氏: いま出た数式の話で例えると、「物語の加減乗除をつくる」ということだと思うんですよね。 ミステリー作品で、犯人に殺人を犯した動機を聞くシーンがありますよね。 たとえばそこで「3年前の夏に見た交差点の信号が、紫色に見えたからです」と答えたとする。ここにいわゆる「ロジック」は成り立っていないじゃないですか。 でも、作中で文脈を積み上げることによって、この回答がその作品の世界観においては説得力を持って成り立っているようにみせることってできると思うんです。 これを数式的なロジックだけに当てはめてしまうと、どうしても「恨みがあったからだ」としか言えないですよね。 ですから、作中でしか成り立ち得ないロジックを自分で作って、それを自分が作り出した数式に当てはめるという作業ができている人。作中の論理構造をゼロイチで作り出せる方というのが一流のクリエイターで、そこのアウトプットがうまいからこそ、ニュアンスの論理の飛躍みたいなものも違和感なく受け入れられるんじゃないでしょうか。 ──大森さんはいかがでしょうか?ご自身の作品でそういったニュアンスをアウトプットするときに、工夫されていることはありますか。 大森氏: そこまで意識的にやっているかと言われたら怪しいですが…… 自分が「こういったニュアンスを生み出したい」と思った時に一番最初に想像するのは、自分がそれを見た時に、まずどの部分に着目して、どういう風な感情になるだろうかということです。 『イシナガキクエを探しています』で例えると、あれは公開捜索番組という、懐かしいフォーマットのオマージュですが、それってみんなが知っているものですよね。 このように、最初は「知っているもの」から入った方がいいと思っています。その次に、懐かしいものだったり、「こういうのあったな」という感情から大きく1個ずらす、ということをやるんです。 『イシナガキクエ』の場合は、55年も前にいなくなった人をいまだに探しているおじいさんが出てきて、その人のために大きな生放送の番組をしているという設定です。 そういった「知っているものが1個ズレた時に生じる感覚」を、コンテンツの序盤で絶対に持っていきたいと思っています。 文芸的な話になりますが、批評家のマーク・フィッシャーが「奇妙なものは、知っているものの中で1個ずれたもので、ゾッとするものは、そもそもその存在の主体が見えないもの」みたいなことを言っていますけど。 僕はその「奇妙なもの」こそが最初の引きになって、「次はどうなるんだろう」という推進力になるように作っていきたいんです。 ──みんなが知っているものから入るというのは、物語のフックとして取っつきやすくするという効果もあるんじゃないでしょうか?そういったマーケティング的な観点も含まれていますか? 大森氏: そういった観点もめちゃめちゃあると思います。僕はプロデューサーでもあるので、作品を届けるのも仕事ですから。マーケティング的な要素というのはかなりあります。 自分の趣味だけで言うと、もっとマニア向けなものを作りたいと思うこともありますが……。テレビ局における1回のチャンスってかなりシビアですし、その1回でコケて終わってしまう可能性も考えると、マーケティング的な視点でもちゃんと勝ちにいきたいと思っています。 ──そう聞くと、大森さんと梨さんがお二人で仕事をされるときの様子が気になります。そういったマーケティング的な観点は大森さんが担当されているんでしょうか。 大森氏: 梨さんのいいところというか、やさしいところなんですが、基本的に僕に最終決定権を持たせてくれますね。 梨氏: そこはもう、プロに任せた方が絶対にいいので(笑)。 大森氏: だから、梨さんの中で「いいアイデアだな」と思ったもので、僕個人としてもめちゃめちゃ好きなものでも、フックがなかったり、あまりに人が振り落とされそうなものだったらカットすることはありますね。 梨氏: 個人的には、だからこそ全幅の信頼を置いているというのがあって。「カットしよう」と言ってくれるのが、めちゃめちゃ嬉しいんです。 それこそ、『このテープもってないですか?』の時にギミックのアイデア出しをしていた時の話です。 「NHKの『番組発掘プロジェクト【※】』なんか面白そうですよね。存在しないテレビ番組とかが届いたら面白いんじゃないですか? 」などと、自分がヘラヘラしながら言ったのを、大森さんがものすごくフックのある構成に仕立ててくださったんです。 大森氏: 『このテープ』の例で言うと、いきなり「こういう番組が発見されました」って映像を流すこともできると思うんですよね。でもそれではやはりフックがないと思ってしまって。 よくある「昭和を振り返る番組」の中にそれが紛れている、その中からパッと出てきてしまうという構造のほうが、「ん?」となる、人が惹きつけられる瞬間を起こしやすいと思ったんです。 梨氏: そのフォーマットがあるからこそ、フォーマットが破壊された時の怖さもありますしね。 ──作品に入り込みやすくしつつ、そういった落差をつくるように心がけていると。ひとつ気になったことがあるのですが、いわゆる「ホラー作家界隈」に、大森さんのようなプロデューサー的な視点を持ったクリエイターさんってどれくらいいらっしゃるものなんでしょうか。 梨氏: それで言うと答えは簡単で、私が今までテレビの仕事をしてきた中で、一緒に仕事をしたことがあるのが大森さんくらいしかいないんですよ。 この事実でだいたいお分かりいただけると思うのですが、こんな人あんまりいないです。 大森氏: (笑)。そう言っていただけるとありがたいのですが。 ■「コンテンツが広がっていくというのは、タコ壺をあふれさせていくという感覚に近い」。マニアで壺がいっぱいになり、新たな人々に波及していく ──物語に入り込むフックを大事にされているというお話で、ホラーブームの「当事者性」と繋がるところもあると思います。そういった、視聴者が前のめりになる瞬間みたいなものが、熱狂のキーになるんじゃないかと。 大森氏: そうですね、梨さんの作品にしても、他の今のホラー作品に関してもですが、最初に惹きつけられるような導入があって、そこの先にある物語の世界にダイブしていく感覚がありますよね。そういう要素が「当事者性」だったり、「フック」と呼ばれるものだと思います。 ──梨さんにも伺いたいのですが、そうして入り込んだ物語の中には、さまざまな仕掛けだったり、点と点が繋がるような仕組みがあると思います。ただ、読者にこれに気づいてもらうのって意外と大変なんじゃないでしょうか。そうした点でなにか工夫されていることってありますか? 梨氏: そうですね、工夫にもさまざまなレイヤーがあると思いますが、そういった要素で「本当に難しいな」と感じる例があります。 『リンフォン』というネット怪談があって、これは「リンフォン」という立体パズルを解いていくことで、地獄の門が開いていってしまう、という話なんですが…… 最後の種明かしが、「主人公の彼女がたまたまアナグラム好きで、『リンフォン』を並び替えると『インフェルノ』、つまり『地獄』という意味になることに気づく」というものなんです。 このオチ、作者はやりたかっただろうな、ここがいちばんやりたかったんだろうな、とは思うんですけど。これの難しいところって、気づいてもらうのも大変なんですが、そのほのめかし方もめんどくさいというのがあって。 大森氏: そうですね、「ドヤ感」というか、露骨すぎると人は冷めるということですよね。 梨氏: さらに難しいのが、コンテンツの視聴者の中でも、ちょっとでも解説があると冷めるという方がいらっしゃる一方で、絶対に全部解説されないとダメだというパターンの方もいらっしゃることです。 連作短編のように、点と点がつながるような作品の場合は、「これらの作品は全て無駄なく繋がっているんだ」という視点で鑑賞する方と、普通にひとつひとつの作品のクオリティとして楽しむ方がいて、その中で作者がどこまで旗を振って誘導するかというのはものすごく重要な選択なんです。 そういった前提があって、私が意識する、一番大切だと思うことが、「考察されなくても最低限面白いもの」であるということ。 当事者性の話にもつながりますが、考察ありきの作品になってしまうと、「じゃあ、当事者性がないと楽しめないの」となってしまうと考えているんです。 「意味が分かると怖い話(意味怖)」というネット怪談のジャンルがありますが、あれも裏を返せば「意味がわからないと怖くない」という話になってしまって、これは読者に責任が向かってしまっているような気がしています。 つまり、怖く感じられなかったというのは、物語を読み解けなかった読者のせいだ、となってしまうような気がして、それはすごく危ういなと思っているんです。 だからこそ、単体でも楽しめる「意味が分かるとさらに怖いけど、意味が分からなくても、もちろん怖い」という塩梅が大事なんだと思います。 ──受け取る側にもさまざまな態度の人がいるから、誰でも楽しめる作品というのを大切にされているんですね。 大森氏: 人によって違うというのが難しくて、僕が今まで作ってきた作品たちも、それぞれ違う層からのバッシングを受けている感覚があります。 たとえば『このテープもってないですか?』と『イシナガキクエを探しています』で、作品に対して怒っている方の層がそれぞれ違うんです。 梨氏: たしかに。裏を返せば『SIX HACK【※】』が好きだった層が『このテープ』好きかどうかはわからないみたいな。 大森氏: そうですね。だから僕の作った作品でどれが一番好きかというのは、人によってすごく分かれていますね。 ──それは、作品ごとに明確にターゲットを分けて考えているということですか。 大森氏: 僕の中で、コンテンツが広がっていくというのは、タコ壺をあふれさせていくという感覚に近いものがあります。ひとつのタコ壺が満杯になって、ほかにあふれて初めてコンテンツが広まっていくんです。 ──“タコ壺が溢れる”ですか。面白い表現です。それっていわゆる「視聴者の層」みたいなものでしょうか? 大森氏: そうですね。『イシナガキクエ』の例で例えると、この作品のターゲットは恐らく2つで、フェイクドキュメンタリーが好きな層と、今まで見たことがない「変なフォーマット」が好きな層です。そこをあふれさせないと、結局他には波及しないと思っていました。 逆に、その層が外から見ても分かるほど盛り上がっていれば、普段はフェイクドキュメンタリーを見ない人なども「なんだか流行っているから見てみよう」となりますよね。そういう風にジャンルを越境していきたいと考えています。 ──おふたりの話を聞いていると、インターネットの文脈を持っているけど、他のこともできるクリエイターさんは稀有な存在なのかなとも思います。ちなみに、おふたりが注目している他のクリエイターさんっていらっしゃるんでしょうか。 梨氏: それで言うと、『ゆる言語学ラジオ』ってご存じですか。 ──「springはなぜ春もバネも意味するのか」みたいな、言語学のトピックを紹介しているYouTubeチャンネルですね。 梨氏: あれの面白いのは、学術的にそういったトピックを分解して再構築するみたいなところなんですが、そこの語り口や視点も面白いんですよね。 ホラーでも民俗学的なモチーフのものって結構人気ですけど、やっぱりガチでやっている人には勝てないなと思わされます。すでに人気のチャンネルですが、もっとバズって良いと思うので名前を挙げました。 ──大森さんはいかがですか。 大森氏: 去年の末に見た、『王国(あるいはその家について)』という、草野なつか監督の映画が衝撃的でした。 映画の脱構築みたいな手法を取っている作品で、本番の演技のシーンを流すのではなくて、終始ほとんど台本の「ホン読み」の様子が流されるんです。 実験映画にも近い感じなのですが、「演技ってなんだっけ」とか、「映画ってなんだっけ」という気持ちになって……。 僕は世代ではありませんが、洋服の世界で「マルジェラが現れたときの衝撃」という表現がされるのと近い感覚なのかなと思いました。 ストーリー自体もめちゃめちゃ面白いんですけど、順番がめちゃめちゃで、同じシーンが20回くらい、1度目のホン読み、2度目のホン読み、といったように繰り返されるんです。 見終わった後には自分もそのシーンを暗唱できるようになっていて、物語を人間の体に直接ぶち込まれるような感覚を味わいました。草野なつか監督には、今後も注目しています。 ■行方不明展における、「展示会」というフォーマットがもつ効果。ひとつひとつにつけられた解説文で、より広い層が展示を楽しめる ──今回、『行方不明展』という展示会が開催されます。これはそもそもどういった経緯で開催されたのでしょうか。 梨氏: 元々昨年の2月ごろに、ホラー系イベントを主催している株式会社闇と私で展示会をやる企画があって、『その怪文書を読みましたか』という、怪文書にまつわる展示会をやったんです。 今年も似たテイストの展示会を行うことになって、私が勝手に大森さんを呼んできたんです(笑)。 その時の私は、同じく行方不明を題材にした『イシナガキクエ』の企画が進んでいることを知らなかったのですが、会議をしていくなかで『行方不明展』のアイデアが出て、そこから世界観が組みあがっていきました。 ──今回、大森さんはどういった立ち位置で参加されているのでしょうか? 大森氏: プロデューサーであり、演出まわりの仕事もしています。感覚的にはかなりがっつり関わっていますね。 梨氏: かなりがっつりですね、本当に(笑)。 大森氏: (インタビュー当時は)まだ一般にリリースされていないんですが、7月19日の会期初日は『行方不明展』に関連するテレビ番組も放映されます。 ──『行方不明展』の企画があって、あとから番組の企画が出てきたんですか。 大森氏: そうですね。番組では梨さんが『行方不明展』に登場する物品をどうやって集めたのか、というドキュメンタリー的な形式の映像を撮りました。 テレビ番組という形態でどういった内容にするかは、悩んだところでもあるのですが……。 『行方不明展』を作っていくうちに「そもそもこの物品って、どこで手に入れたというストーリーなんだろう」という話になり、それを展示会の現場で説明するのはちょっと違うかな、と思ったので。 それをテレビ番組という切り離された空間で説明するのが綺麗な流れだね、となりました。 ──おふたりは小説やインターネット、テレビ番組など、さまざまなフォーマットで作品を発表されていますが、展示会という形式にはどういった考えをお持ちなのでしょうか? 梨氏: 私が『行方不明展』を開催する大きな理由のひとつとして、「美術展なら、逐一解説文があってもおかしくない」というのがあるんです。 「ホラーに解説があると冷める人」という話をしましたが、美術展というフォーマットを使えば、作品ひとつひとつに作者の解説があっても自然ですし、こちら側である程度作品間の導線みたいなものも設定できますよね。 『行方不明展』は結構大きめの展示なのですが、「マスを意識する」場面では、そういったフォーマットが必然性をもつような立て付けにして、それに合った解説を入れていくことが多いんです。 ──ここまで解説しちゃったらオシャレじゃない、みたいな期待値をある程度コントロールできるフォーマットなわけですね。 大森氏: 展示というのは観客が乗りやすいフォーマットだな、と思いますね。解説文を入れた上で、それがダサくないというか。 ──中に入ってしまえばある種「わかりやすい」フォーマットになっているということですが、一方で『行方不明展』の告知リリースなどは、ネーミングの強さ一本で勝負しているところがありますよね。必要以上の説明を避けて、想像力を掻き立てるものになっていると感じます。 大森氏: そうなんですよ。人って情報がないほうが惹きつけられることもあるんですが、特にテレビ畑だと、情報があればあるほど人にはリーチすると考えることが多くて。 今作っている番組なんかでも、「もっと説明したほうがよくない? 」みたいなことをよく言われるんです。 「それは違うんですよ」と言うんですが、なかなか分かってもらえないというのが、僕がよくぶつかっている問題です。 ──それで言うと、電ファミのようなネットメディアでも、なるべく多くの情報を出していくことが正解とされることが多いんです。本文を読まずとも、記事の見出しやXのポスト文章で内容のイメージが掴めるようにして、「面白そう」と思ってもらうことを大切にしています。 『行方不明展』のリリースは逆に、情報を絞ることで好奇心を掻き立てるという方法を取っていて、これはかなり珍しいと思いました。情報は少なくて理解はできないんだけど、わからないなりにイメージが膨らむというパターンがあるんだなと。 大森氏: 電ファミさんの『行方不明展』に関するX(Twitter)のポストも1万リポストくらいされていましたよね。『行方不明展』においては詳細な情報よりも、そういった告知の不気味さをシェアしたくなる力で伸びている感じがしました。 一発で全て説明されて理解できるということより、「なにか不気味だぞ」と想像が膨らんで、実際にフタを開けてみた時にその想像に近い画があるっていう感覚にテンションが上がるんだと思います。 ──『行方不明展』のリリースも、実際に記事を開いてみると惹きつけられるような写真が出ていますよね。そういった狙いにうまく合致していると思います。 梨氏: 私は大学時代、Yahoo!にインターンに行っていて、ニュースの見出しを付ける部署にいたので、今の話は大変参考になりました。 ──そうだったんですね!梨さんの今の活動の背景の一端になっていそうですね。 梨氏: インターネットっぽい企業に興味があって、他にもネット系の企業にインターンに行っていましたね。 ちょっと話はズレるかもしれませんが、私は普段「オモコロ」とかで記事を書いているんですけど、たまに「この作品の中でどこが切り取られてバズるかな」みたいなことを考えるんですよ。 そういう切り抜き作業ってコピーライトを作る作業に等しいんじゃないかと思っていて、今の「断片を見せて想像力を掻き立てる」みたいな話に近しいものを感じます。 ──想像力を搔き立てるというのはひとつのポイントかもしれませんね。 大森氏: 今の時代だと1点のコピーライトの強さを見せて、 それ以外はあんまり言わないことによって、そこの周縁を想像させるっていうのが強いと思いますね。 ちょっと面白いと思うのは、今ってお笑い芸人さんもかなりコピーライター化してきていて、1枚のテロップで強いフレーズを言う、というのが大事になってきているんです。 そしてそれがX(Twitter)で拡散されてみんなが面白がるんですが、面白がったからといってTVerなどに元の番組を見に行くかというと、必ずしもそうではないんです。 ──TVerに行くか行かないかというのは、なにか基準があったりするんですか? 大森氏: 1枚のキャプチャーで完結してしまっているというのが大きいんですよ。 お笑い番組の場合、画面の左上や右上にサイドテロップが入っていますから「今どんなコーナーで、どんなエピソードトークをしていて、この芸人さんがこんなうまい例えツッコミをしたんだ」というところまで、一枚のキャプチャーで把握できちゃうと思うんですよね。 そういうふうに、お笑い番組の面白いひとコマって、例え1万リポストされていてもTVerには全然行かない、みたいなことが起こるんです。 その一方で手前みそですが、『イシナガキクエ』なんかは画面にほとんど情報がないですから。1枚のキャプチャーに「こんなことがあった」みたいな説明が付けられたものが、お笑いのポストよりリポスト数が少なくてもインプレッションは大きかったりして。 想像力が刺激されて、まず引きつけられる。それで答えがないから行ってみるって導線が明確に違うところですね。 ──『行方不明展』のリリースの話でいうと、普通だったら現地のギャラリーの写真などを載せたくなりますよね。 大森氏: 設営時期の関係で、物理的に難しかったというのもあるのですが(笑)。施工が終わっていたとしても、僕たちはこうしただろうと思います。 こうした線引きの感覚は自分の中ではある程度明確に持っているものなので。「これってどういう展示なんだろう」みたいな想像をしている時点で「主体性のあるホラー」の一歩目に踏み入っているんだと思います。 ■ホラー・フェイクドキュメンタリーブームの行く先と、ふたりのこれから。超自然的なものをそのまま受け入れられるホラーは、「便利な遊び場」 ──これからのことについてもお話を伺いたいと思います。今熱狂を生んでいる、ホラー・フェイクドキュメンタリーブームの行きつく先はどんなものになるのでしょうか? 大森氏: それは最近よく考えていることですね。僕の読みだと、雑誌などで特集されるようなホラーブームというのは、来年、再来年には終わると思っています。 だからと言って、今活躍されているクリエイターさんたちが筆を折るとも思えませんし、「その中でどういった道に行くんだろう」ということは考えます。梨さんも別にホラーだけをやりたいっていう訳じゃないというのも感じますし。 ──今日のインタビューを通して思った事ですが、お二人はいわゆる「ホラードキュメンタリーだけを追っている作家さん」とは違いますよね。出自も違いますし、言い方が正しいかはわかりませんが、ホラーをある種のツールとして捉えているというか。 大森氏: 「ツールとして」という言い方はちょっと角が立ちますけど(笑)。 梨氏: ホラーという枠組みってものすごく広いし、超自然的なものをそのまま受け入れられるというのが、創作においては非常に強いと思うんですよね。そういうところに惹かれたというのがあります。こんな便利な遊び場はないですからね。 ──「遊び場」ですか。ある意味象徴的な表現かもしれません。 大森氏: だから、広い意味で言うと、僕はマーク・フィッシャー的な「奇妙なもの」。元々知っているものがズレたときの、ザワッとした心の動きが好きというだけなので。 今ではモキュメンタリー、ホラーという言葉にいろいろなものが内包されていますが、そういう表現に限らず、「奇妙なもの」が好きで、自分の手で作りたいというのは変わらないと思います。そして、そういったものが人を惹きつけるというのも変わらないと思います。 ──2、3年後に今のブームはないだろうというお話でしたが、梨さんはどうお考えですか。 梨氏: 少なくとも今と同じような雰囲気ではないだろうとは思いますが……。 私、次に出る新刊の表紙で「めっちゃ青春小説っぽい感じでお願いします」というオーダーを出したんです。 ざっくり言うとこれから1、2年は「私もこういうの出来んねんで」という営業をする予定なんです。 一同: (笑)。 大森氏: すごい。そんなことまで言ってくれるんですね(笑)。 梨氏: 営業のフェーズに入ってるっていう(笑)。 ──「フック」という話に繋がりますが、なんだか別の界隈にご自分の作品を投げ込んでいるような感じがしますね。 梨氏: 最近はありがたいことに、VTuberさんや歌い手さん、お笑いコンビの方などと仕事をさせて頂いていて、一概にホラーとは呼べないようなジャンルに首を突っ込んでいるやつ、みたいな感じでやらせてもらっています。 そういった面白そうなところに移り住みながら、でもその中心はホラーみたいな、周辺で遊んでいる人になりたいなと思っています。 大森氏: 僕も同じような気持ちです。ただそれは、別に「びっくりさせたい」だとか、「カマしてやりたい」というわけではなくて。 そういった異なるジャンルと組み合わさって、ホラーやフェイクドキュメンタリーの手法を知らない人からしても魅力的に映る表現なんだと思っているからこそ、ジャンルを越えていきたいと思っているんです。 ──梨さんも似たような気持ちはお持ちなのでしょうか? 梨氏: 越境したいという表現になるかはわかりませんが、それこそホラーがタコ壺的な界隈であるのがもったいないとは思っているんです。もちろんゾーニングは大事ですが、「ホラーってこんなに面白いのに」っていう。 でも、表現手法としてのホラーって、映像としてもかなり最先端を行く部分があると思っていて、そういう面でのシナジーをもっと見てみたいと思っています。(了) 昨今のフェイクドキュメンタリーに対する熱狂の背景には、インスタントに楽しめるコンテンツや、偽の情報があふれる今の時代に対する反動と、人々が昔からもつ「主体性をもってコンテンツを楽しみたい」という欲求があるという、ひとつの答えが見えてきた。 梨氏がホラーを「遊び場」と語るのと意味は異なるものの、フィクションであることが明示されたドキュメンタリーは、当事者というロールプレイを楽しむことができるファンの「遊び場」でもある。 ふたりが制作する作品はどれも、点と点を繋げるという「快」の力を理解したうえで作られている。作品の持つ不気味なムードとは裏腹に、その裏側にあるのは倫理を超えない中でフィクションを作るという善の信念や、光の部分だ。 誰しもが過ごす日常の「ズレ」をフックとするふたりだからこそ、その技法やエッセンスを感じる新たな作品が、フェイクドキュメンタリーという形に限らずこれからも生まれるだろう。次はどんな「ズレ」が奇妙な体験を持ってきてくれるのか、一ファンとして心待ちにしている。 ■「行方不明展」概要 タイトル:行方不明展 場所:三越前福島ビル 開催期間:7月19日(金)~9月1日(日) 住所:東京都 中央区 日本橋 室町1-5-3 三越前 福島ビル 1F ※東京メトロ「三越前駅」徒歩2分 開催時間:11時~20時 ※最終入場は閉館30分前 ※観覧の所要時間は約90分となります。 料金:2,200円(税込) 主催:株式会社闇・株式会社テレビ東京・株式会社ローソンエンタテインメント WEBサイト: X(旧Twitter)アカウント: ■「行方不明展」特別配信映像 概要 配信開始日時】:2024年8月9 日(金)よる8時00分 ※アーカイブあり 金額】:1000円(税込) 配信:
電ファミニコゲーマー:TAITAI,anymo
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