田中角栄は、世界の権力者たちとくらべて「悪い政治家」だったのか…? 比較して見えてくること
「力」こそすべてが世界の権力者の共通認識だ
軍事力を軸とした「力」への信仰もアレキサンダー大王の昔から「悪い奴ら」には共通している。 「力」こそすべて、というのが権力者となった「悪い奴ら」に共通した認識であり、「力」を失えば、即失脚が待っているからだ。 北朝鮮の金王朝三代(日成、正日、正恩)も「先軍思想」(国政で軍事部門を最優先とする)の信奉者であり、人民が飢えようと経済が停滞しようとおかまいなしで、核兵器開発とミサイル開発に国富のほとんどをつぎ込んできた。 中国の国家主席、習近平も「力」の信奉者であるのは、論を俟(ま)たない。 習近平は、中国共産党総書記に選出された直後の2012年、アメリカンドリームをまねた「中国の夢」というプロパガンダを打ち出し、以降、これは習政権のキーワードとなっている。 「中国の夢」は、「中華民族の偉大なる復興」と「一帯一路」の2つの要素から成り立っている。 簡単に言えば、アジア・ヨーロッパ・アフリカを「一帯一路」として中国の勢力圏とし、軍事力と経済力をパワーアップして、中国を21世紀中に「世界一の強国」にしようという夢想に近い目標なのである。 「一帯一路」は、大日本帝国が戦時中に打ち出した「大東亜共栄圏」の焼き直しといっても過言ではない。 習政権は、改革開放路線に舵を切ったトウ小平時代以来の「韜光養晦(とうこうようかい)」(才能を隠して内に力を蓄える)路線をかなぐり捨てたのである。 南シナ海への強引な進出をはじめ、空母の増設、宇宙の軍事化など軍事力増強に邁進している。
田中角栄は真の「悪い奴」か?
同じ「力」でも「金脈問題」で総理大臣の座を追われた田中角栄は、リベンジを果たすため派閥(田中派)の構成員を膨張させ、「数の力」と「カネの力」で復権を図ろうとした。 派閥を通じて自民党の支配を狙う「数の論理」は、昭和53(1978)年の自民党総裁選で大平正芳政権を誕生させ、続く鈴木善幸、さらに中曽根康弘政権の中期まで「田中派支配」は続くことになる。 ところが、田中派の膨張は、あとから入会した「外様」を優遇することを意味した。昔から角栄を支えてきた竹下登、金丸信といった子飼いの部下に反乱を起こされることになり、角栄は病に倒れてしまった。 「人たらし」でもあり、与野党を超えて人気のあった角栄は(議員に人気があった大きな理由は、田中派に所属しているか否かに関係なく、破格の祝儀・不祝儀をはずむことにあったという)、実は猜疑心がそれほどなかったため、結果的に息子同然に目をかけていた小沢一郎にも裏切られることになった。真の意味では「悪い奴ら」には分類できないのかもしれない。 日本の歴史に「悪い奴ら」はほとんどいない。あえて挙げるとすれば織田信長か 猜疑心の強さも「悪い奴ら」の共通項だ。 中国共産党内で力のあった胡錦濤や江沢民の一派を無力化し、「永久政権」をつくりあげた習近平にとって、いま最も懸念しているのは軍部や治安機関によるクーデターだ。 習近平は、総書記就任以来、「ハエも虎も叩く」と反腐敗キャンペーンを強力に推進してきたが、2023年には現役の国防大臣やロケット軍司令官が解任され、粛清は2024年も続いている。 彼らはもともと「習近平のお気に入り」で抜擢されたとされるだけに、習は誰も信用できない精神状態に追い込まれているのだ。 猜疑心の最も強い独裁者を一人挙げるとすると、スターリン以外にいないだろう。 レフ・トロツキーをはじめとするライバルたちを次々と暗殺しただけではなく、「人民の敵」というレッテル一つで軍人や一般人を大粛清し、犠牲者は1930年代だけで200万人にのぼるという。 同時にスターリンは、のちのKGBにつながる諜報機関を整備した。 スターリンのまごうことなき後継者が、KGB出身のプーチンであることは疑いようがない。 ここまで書くとおわかりのように、日本国において、「悪い奴ら」の要件を満たす政治家は、戦国時代の織田信長あたりまで遡らなければならない。
乾 正人(政治コラムニスト・産経新聞上席論説委員)