【MotoGP現場ぶら歩き】サーキット周辺に駐輪するバイクと、自転車
わたしがMotoGPの話を切り出す前から、彼女がそう言います。「そうだけど……」と答えながら、なぜ知っているんだろう? ほかにも同じような仕事で滞在している人がいるのかも? などと考えていると、「あなたを見たことがある!」と彼女が続けました。 「MotoGPの映像で見たことがあるわ。バレンティーノ・ロッシにインタビューしていたでしょ?」 ……残念ながら、わたしはロッシ元選手に単独インタビューをしたことはないので、どうやら人違いだったようです。 ただ、彼女はMotoGPを見ているし、よく知っているのでしょう。そんな小さな会話が、なかなかに興味深いものになりました。それにしても、彼女は一体、わたしを誰と勘違いしたのでしょう……?
メインゲート前の通りは「加藤大治郎通り」
ミサノ・サーキットを語るうえで、必ず触れなければならないことがあります。サーキットのメインエントランスの前の通りに、2001年GP250チャンピオン、故・加藤大治郎選手の名前がついているのです。通りの2カ所に「Daijiro Kato via」という看板が立っており、地図にもしっかりと記載されています。
加藤選手は生前、ミサノに住んでいました。メインエントランスは2004年に新たに整備され、それにともない作られた通りに、家族の了承を得たうえで加藤選手の名前がつけられたのだそうです。緑地帯には、桜の木も植えられています。 メインエントランスを出ると、民家が並んでいます。本当に、びっくりするほどサーキットのすぐ近くに民家があるのです。MotoGPのレースウイークには歩道にグッズショップや、フードスタンドが建ち並び、昼時にはパニーニやピアディーナをビールで流し込む人たちがテーブルを囲みます。 サーキットにまつわるもう1人のライダーのモニュメントは、そのショップを抜けた先のラウンドアバウト(環状交差点)の中心にあります。サーキットの名前にもなっている、故・マルコ・シモンチェリ選手のモニュメントです。 2011年マレーシアGPのアクシデントによって亡くなったイタリア人ライダーのシモンチェリ選手は、チャンピオンも嘱望された選手でした。彼の功績や、イタリアにおける当時の存在と喪失の大きさは、サーキットの名前にもなるということが表していると思います。