素顔の元寺尾と鶴竜独立が表すもの~見どころ満載の大相撲初場所
元鶴竜が期待される理由
その井筒部屋に入門した元横綱鶴竜が昨年12月27日に年寄「音羽山」を継承、襲名し、陸奥部屋から独立するニュースも駆け巡った。横綱経験者には引退後5年、しこ名のまま親方として相撲協会に残れる資格がある。陸奥親方(元大関霧島)が4月に65歳の定年を控えるのを前に部屋の今後に絡み、鶴竜親方の動向にも関心が集まっていた。無事に名跡を継承、襲名し、東京スカイツリーから徒歩圏内の墨田区向島に部屋を構えた。着実に歩んだ力士時代同様、「少しずつやっていきたいですね」と謙虚に意気込みを語った。 力士の中には将来のことを考えて早くから年寄名跡の手配について準備するパターンも少なくない。しかし、関係者によると、音羽山親方は現役時代に名跡の取得などについてさほど画策してこなかったという。本人が周囲に明かしたところでは、現役中に名跡のめどがつくといつでも辞めることができ、力士として駄目になってしまうかもしれないとの思いがあったから、との主旨の説明だった。横綱として退路を断って力士人生を全うする心構えで、真摯な姿勢が垣間見える。事情を伝え聞いた相撲協会幹部は「ある意味で、すごく真面目だ」と評価した。 それ以外にも、現役時代を鑑みて今後の指導力に期待が膨らむエピソードがある。師匠だった元関脇逆鉾の井筒親方死去に伴い、井筒部屋から陸奥部屋に移籍した後のこと。ぶつかり稽古で幕下以下に胸を出していたところ、若手が少しおう吐してしまった。それでも向かっていこうとした当該力士に対し、横綱鶴竜は嫌な顔一つせず、そのまま当たりを受け止めて稽古をつけ続けた。この若手は「普通、吐いた後にぶつかられるのは嫌じゃないですか。でも横綱は平然とした表情で、何事もなかったかのように胸を出していただけました。ありがたかったですし、やっぱりすごいなと思いました」と感服していた。厳しさの中の愛情。思いは今後、自身の弟子たちに伝わっていくに違いない。