さだまさし 歌詞の世界観に引き込む巧みな言葉の使い方 楽曲提供では山口百恵の「秋桜」虚像と実像が一体になった名曲に
【昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝】 さだまさしは3歳からバイオリンを習い、中学1年生の時、バイオリン修業のため長崎からひとりで上京し、千葉県市川市で過ごしていたが、サイモン&ガーファンクルや加山雄三に憧れ、ギターを弾きながら歌を作るようになる。 【写真】さだまさしプロデュース落語会でトークセッションに臨むさだ、柳枝、小せん、一琴 吉田拓郎が大ブレークしていた1972年、大学を中退し、高校時代の友人である吉田正美とフォークデュオ「グレープ」でデビュー。フォークはギターが定番だが、バイオリンを弾きながら歌う人は珍しかった。 静かな語り口で歌い、2作目の「精霊流し」(74年)が大ヒット。目を閉じれば映像が浮かびそうな歌である。しかしグレープの音楽は暗いといわれ、受け手との齟齬(そご)を感じて解散。 ソロになってからは「雨やどり」「案山子」「関白宣言」「親父の一番長い日」「道化師のソネット」「北の国から~遥かなる大地」とヒットが続く。 トークも落語家のように洒脱(しゃだつ)でユーモアに富んでおり、ライブではついついトークが長くなりがちだ。唯一無二のフォークシンガーである。 楽曲提供では、なんといっても山口百恵の「秋桜」(77年)だろう。嫁ぐ日が来た母娘の情景が浮かぶ歌詞は、その後、山口が結婚を控えた時期には〝胸がつまり涙がとまりません〟という投書が多く寄せられたそうだ。虚像と実像が一体になった名曲といえよう。 82年ごろ、遠藤周作さんとお会いした際、「さだまさしの歌はまるで短編小説のようだ」と言われたことがあった。 やはり、その歌詞の世界観は巧みな言葉の使い方にあるだろう。そんなさだが「ようやく若い人たちが言葉の持つ温度に気付き始めて、半死半生語を歌詞で使ったりしてますよね」と雑誌に記していた。 「半死半生語」というのは、さだがよく使う言葉だが、「昔は良く使われていたのに、最近はあまり使われていない言葉」のことを指す。 そしてこうも記している。「ルーマニアの思想家シオランが『祖国とは国語だ』と説いたように、日本語を話す日本人が減ってしまったが、やっと失っているものがいっぱいあると、理解しはじめたのかな」 =おわり ■さだまさし 1952年4月10日生まれ、72歳。長崎県出身。テレビ・ラジオ番組のパーソナリティーとしても活躍。現在TBS日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」に出演中。
■篠木雅博(しのき・まさひろ) 株式会社「パイプライン」顧問、日本ゴスペル音楽協会顧問。1950年生まれ。東芝EMI(現ユニバーサルミュージック)で制作ディレクターとして布施明、五木ひろしらを手がけ、椎名林檎らのデビューを仕掛けた。2010年に徳間ジャパンコミュニケーションズ代表取締役社長に就任し、Perfumeらを輩出。17年に退職し現職。