死後、人は亡霊となってさまよう…古代ローマ人は「死者」をどう捉えていたか? その「意外な見方」
危険な死者
日本とは、いったいどんな国なのか。 日本社会が混乱しているように見えるなか、こうした問題について考える機会が増えているという人も多いかもしれません。 【写真】天皇家に仕えた「女官」、そのきらびやかな姿 ヨーロッパとの比較のなかで日本について知る、あるいはよりシンプルにヨーロッパ的な精神の歴史について知るうえで最適なのが、『西洋中世の罪と罰』(講談社学術文庫)という本です。著者は、西洋中世史の研究者で一橋大学の学長も務めた阿部謹也氏。 本書は、西洋の中世における死のイメージや、罪の意識などを通して、「西洋的精神」にわけいっていきます。 たとえば同書では、ヨーロッパの精神の古層にある、古代ローマの人々の感覚についてもくわしく述べています。古代ローマの人々は「死者」についてどう考えていたのか。その死者への感覚はきわめて興味深いものがあります。同書より引用します(読みやすさのため、改行などを編集しています)。 〈古代ローマ人と死者との関係は、サガの世界における死者のイメージと共通の性格をもちながらも、異なる面をもっていた。死者が墓の中で生き続けているという信仰は強く、埋葬の際に死者に対して、「お元気で、土がおまえに軽く感じられますように」と付け加えたという。そして三回、死者の名を呼ぶのである。 ローマ人にとって霊(anima, animus)は死後すぐに身体から離れるわけではなく、喪が明け、墓に三日目の供物が捧げられた後のこととされていた。死者は生者にとって危険な存在になりかねなかったから、注意深く扱わなければならないと考えられていた。〉 〈しかしながら、すべての死者が生者に害を加えるわけではなく、地上を離れた後も彼岸に辿り着けない死者たちが、危険な存在になると考えられていたのである。たとえば、埋葬されなかった者(人びとが涙を流して送らなかった者)、溺れ死んだ者、暴力犯罪の犠牲者、殺された者、自殺者、処刑された者などが、それに該当した。小プリニウス(六二頃~一一四頃)が伝えるところによると、次のような話がある。 《アテネに、幽霊が出るという噂の家があった。哲学者のアテノドールが、その家を借りた。とある夜、幽霊を見た。それは両手両足に鎖を巻きつけていた。幽霊はアテノドールを招いたので、ついて中庭に出ると、そこで消えてしまった。アテノドールは庭を掘る許可を得て発掘すると、地中から手足に鎖を巻きつけた骸骨が出てきた。手厚く葬ったところ、以後はその家に幽霊は出なくなったという。》 この例などは、埋葬を求める幽霊の話であり、古今東西を問わずどこにでもみられる普遍的なものといえよう。 死後に亡霊となってさまよう可能性があるのは、生前に復讐心を強くもちながら死んだ者、墓を求めている死者、妬み心の強い者、侮辱されたり不満な心を抱いて死んだ者などである。いずれにせよ、異常な心身の状態で死んだ者が亡霊になると考えられていた。〉 現代と通じるところがありそうで、少し違う雰囲気もある死者への感覚、非常に興味深いものがあります。 * さらに【つづき】「亡者・亡霊は消えていく…ヨーロッパの「古い信仰」が「キリスト教」にとって変わられたときに起きたこと」の記事では、上で紹介したような「古い時代の信仰」を、キリスト教が駆逐していくときになにが起きたのかを紹介します。
学術文庫&選書メチエ編集部