励ましただけでセクハラに…女性だというだけで優遇される社会 だから日本のジェンダー・ギャップは広がるばかり
必要なのは数をそろえるのではなく裾野を改革すること
そして今春は、大学入試においても正々堂々と、同様の男性差別が行われた。東京工業大学や金沢大学など10大学が女子枠を新設。すでに採用していた大学をふくめると、15の国公立大学で女子枠がつくられたのである。 一般入試、つまり普通の筆記試験で受験する場合は、男女の差はない。だが、学校推薦や総合型選抜に、女子しか受けられない枠がもうけられた。当然だが、女子枠ができた分、男女が平等に選考される枠は減り、結果として男性は合格しにくく、女性は合格しやすくなった。これは大学が公式にもうけた制度なので問題視されていないが、数年前の医学部入試の不正問題と、いったいどこが違うというのか。 仮に、各大学が男性枠を新設したら、猛批判を浴びるだろう。しかし、女性枠なら許される。 男女共同参画社会が目指され、内閣府の男女共同参画局は「男性も女性もあらゆる分野で活躍できる社会」を標榜し、2005年から理工系分野で女子の受験生を増やすための「リコチャレ(理工チャレンジ)」を実施してきた。にもかかわらず、経済協力開発機構(OECD)の調査では、2021年に理工系の大学などを卒業または修了した女性の割合は、加盟38国中、日本がいちばん低かったという。 その焦りもあって、国公立大学の理工系学部が次々と女子枠をもうけているのだが、前述した医学部の不正とは逆に、これでは男子学生が浮かばれない。ひいては、各大学における学力の水準低下にもつながる。 理工系女子を増やす。それは必要なことに違いないが、大学入試で女子に下駄を履かせるのは本末転倒である。それを担うのは、小学校(あるいは就学前教育)から高等学校までのはずで、そこで理工系分野への興味を喚起し、同時に、家庭における「女の子なのだから」という意識を解消する。そうして裾野を変えることでしか、ジェンダー・ギャップは解消しない。 日本に関して、各調査でジェンダー・ギャップが大きいという結果が出るのは、裾野に目を向けていないからだろう。裾野において、男女が対等にものを考えるようになることでしか、ジェンダー・ギャップは解消されないはずだ。 冒頭でとりあげたセクハラ問題も同様である。男女が対等であることよりも、男性から女性を守ることに力点が置かれた結果、男性が守らないことになっている。ひいては男性が女性に遠慮しすぎて、当たり前の指導さえ受けられないなど、不利益が女性にもおよぶ結果を生んでいる。 男女がそれぞれの差異を認め、たがいにそれを尊重したうえで、対等に接することができる環境づくり。そこをおろそかにし続けるかぎり、冒頭に記した植野医師のような被害者は、今後も増え続けるはずである。 香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。 デイリー新潮編集部
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