励ましただけでセクハラに…女性だというだけで優遇される社会 だから日本のジェンダー・ギャップは広がるばかり
ジェンダー・ギャップ解消の焦りがもたらす弊害
男女共同参画社会基本法が施行されたのは1999年6月のことだった。つまり、もう四半世紀前も前から、「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保」され、「男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受」できる社会の構築が志向されている。 それにしては、日本は各国とくらべてジェンダー・ギャップが大きいと指摘される。スイスのコロニーに本部がある非営利団体「世界国際フォーラム」が、世界各国の性による格差の度合いをまとめた『グローバル・ジェンダー・ギャップ・レポート』によれば、2018年における日本のジェンダー・ギャップ指数は、世界146カ国のなかで125位という、惨憺たる順位である。 このために、政治、経済、社会の各分野で、日本のジェンダー・ギャップを解消しようという焦りがみられるようだ。 政治の分野では、2018年に「政治分野における男女共同参画推進法」が施行され、各政党に対し、男女の候補者数ができるだけ均等になるように求められた。たとえば、立憲民主党はこれに素早く反応し、「候補者・議員・党職員における女性比率を、2030年までのできるだけ早い時期に、少なくとも3割を超えることを目標とする」と定めた。 そして、日本の国会議員における女性比率は、全体をみると衆議院10.3%、参議院26.7%、衆参両院16.0%なのに対し、立憲民主党の国会議員にかぎっては、衆議院13.7%、参議院44.7%、衆参両院22.6%であると、誇らしげに数字を示している(数字はいずれも2023年7月19日現在のもの)。 しかし、こうして性急に表面の数字をそろえることばかり意識するから、本質的なジェンダー・ギャップがいつになっても解消しないのではないだろうか。
女性議員を無理に増やせば国家機能が低下するワケ
国会議員の女性比率を3割超にするためになにが必要か。それは、国会議員になろうと志向する女性を増やすことに尽きる。 むろん、国会議員になりたいと願い、意欲も能力も十分にありながら、女性であることを理由に、その道が閉ざされたり険しくなったりしているという事例があるなら、即刻、男女の差がなく国会議員をめざせるように改善する必要がある。しかし、そもそも国会議員になりたいと思う女性が増えていない段階で、議員の女性比率だけを増やせばどうなるか。意欲の点でも能力の点でも十分とはいえない議員が増えるだけである。 そして、それはそのまま男性への差別につながる。仮に国会議員の志望者が1000人いるとし、内訳を男性900人、女性100人とする。そこから500人の候補者を選び、その3割は女性とすることとしよう。すると、どうなるか。男性は650人が落とされるのに対し、女性は全員を選んでもまだ足りず、さらに50人に志望者をどこかからかき集めなければならないことになる。 女性のほうが際立って能力が高いのなら話は別だが、能力や意欲は男女で差がないとするなら、これは著しい女性優遇、すなわち男性差別となる。しかも、話は差別にとどまらない。意欲も能力もともなわない女性が大量に国会議員になることを意味する。立法府および国政の機能が著しく低下するのは避けられないだろう。 要は、議員の男女比が、議員になりたいと思う人の男女比を超えてしまえば、本当の意味での男女の平等が守られないばかりか、日本の国家機能の低下につながる。だから、裾野を広げる、すなわち議員なりたいと思う女性の数を増やすことでしか、ジェンダー・ギャップを本質的に解消することはできないはずである。 2018年に東京医科大学で、入試における女子差別が発覚。その後、順天堂大や日本大など9大学で同様の「不適切」な入試が行われていたことがわかり、社会問題化した。その際、問題が指摘された私大への私学助成金はカットされ、差別を防ぐための具体的なルールがつくられるなどした。 こうして医学部入試における女性差別が解消したのはいい。だが、女性の議員志望者が必ずしも多くない現状において、女性国会議員を性急に増やそうとすれば、女性には下駄を履かせて「合格」させる以外に方法はない。それは、医学部入試で女性が差別されていたのと同じ方法で、男性が差別されることにほかならない。