RIZIN堀口恭司が衝撃KO負けの真実と再戦計画を激白「大晦日にベルトを渡しすぐに返してもらう」
榊原信行・実行委員長は、過去に一度としてオファーを断ったことのない堀口が、当初、メリットのない朝倉戦を「戦う意味が見つからない」と拒否していたことを明かした。UFC経験のある日米2冠王と4連勝中とはいえ、まだ“日本ランカーレベル”の朝倉では置かれたポジションが違った。榊原実行委員長は、電話を入れた、その30分後に堀口が一転、翻意して受諾したことも明かしたが、実は、朝倉戦の話は関係者を通じて2日前にあり、30分ではなく2日間、考えた末に受け入れた試合だった。 「やらなきゃ、相手が誰もいないじゃん。やるしかないと。RIZINという興行が盛り上がらないじゃんと。思い切りやられましたけどね」 朝倉の兄である未来が先の「RIZIN.17」で矢地祐介を判定で下し、勢いに乗っていて、しかも、名古屋は、豊橋出身の朝倉兄弟の地元。それらの流れを忖度し、ただ興行の成功を第一に考えての受諾だったが、それは戦う理由としては弱かったのかもしれない。 「戦う理由としては弱い。どこかで油断があったのかもしれません。でもプロなので“ハイ”といった以上、(戦うコンディションを)作れなかった自分が悪いんです」 しかも、朝倉兄弟は、綿密に堀口の戦いを分析し戦術を練ってきた。カウンターの精度を上げるため、元WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者の内山高志の指導まで受けていた。堀口の意識を断ち切った右のカウンターは、頭を左にずらしてパンチを放ってくる堀口の癖を見抜いて狙ったものだった。 「朝倉兄弟は頭がいいです。僕の癖まで読んでいたのは凄い。でも次は同じようなことはない。さて、僕の頭が、どこへ動くか」 堀口は思わせぶりにニヤついた。 記憶が飛んだこともあって試合直後に敗戦のショックや悔しさは、それほど湧いてこなかった。むしろ失意に襲われたのは信頼している“応援団”の顔を見たときだ。 「自分よりも周りが悲しんでいた。応援してくれているみんなも、僕の親も悔しがっていた。自分だけの勝負じゃない。それを知ったとき、ウワっとなった。悔しいと思った。みなさんに申し訳ない、という気持ちです」 敗戦後、堀口は「アイムソーリー」「申し訳ない」を何百回となく繰り返したという。 試合の翌日に都内の病院でMRI検査など精密検査を受けた。脳にも肉体にも異常はなかったが、「4週間から6週間の間、脳に衝撃を与えるような打撃系練習は禁止するように」と言い渡された。朝倉は試合後「再戦するのが筋」と語り、榊原実行委員長も、「早ければ10月の大阪でも」と再戦を約束していたが、このドクターストップにより10月12日に大阪で行われる「RIZIN.19」での再戦は難しくなった。 衝撃KO負けのダメージの回復を考えると、大晦日でも日程的には厳しいのだろうが、堀口は「全然大丈夫。できれば大晦日にやりたい」と熱望した。