[関東]3度の前十字靭帯断裂を乗り越えた不屈のプレーメイカー。大宮内定の東洋大MF中山昂大が古巣帰還で成し遂げたい想いと覚悟
[8.18 関東大学L1部第11節 東洋大 1-1 明治大 東洋大学朝霞キャンパス・サッカー場] 【写真】「可愛すぎて悶絶」「金メダル」「新しいジャケ写かと」大物歌手が日本代表ユニ姿を披露 幾度となく大きなケガに見舞われてきた。もうサッカーをやめたいと思ったことも一度や二度ではない。それでも、諦められなかった。最後はまたボールを追いかける日々を想像しながら、懸命にリハビリに励んできた。多くの人に支えられてたどり着いたプロの世界。その感謝を自分のプレーで示していく覚悟は、もうとっくに整っている。 「ここまで来られたことに対して、いろいろなことに感謝していますし、自分は大宮に入ることで、大宮にしてもらったことに対して、ピッチの上で恩返ししたいなと考えているので、その覚悟と責任と自信を持って、大宮に行きたいと思います」。 アカデミー時代を過ごした大宮アルディージャへの帰還が決まった、東洋大が誇る長身プレーメイカー。MF中山昂大(4年=大宮アルディージャU18)は自分を信じてくれた人たちの想いを背負って、これからもピッチで存分に躍動し続ける。 延期分となったホームゲームで対峙するのは、ここまで無敗を続ける難敵・明治大。開始早々に失点を喫すると、「前半はかなりしんどくて、相手のシステム的にも掴み切れない形で、結構ストレスを抱えていましたね」と中山も振り返ったように、以降もなかなかリズムに乗れない中で、MF新井悠太(4年=前橋育英高)のPKで追い付き、1-1でハーフタイムへと折り返す。 中盤の中央に立つ中山の左腕には、オレンジ色のキャプテンマークが巻かれている。「そういうタイプではなかったんですけどね」と本人も笑った通り、少し意外にも思える役割を託されている中で、「自分的にキャプテンと言ったら、長谷部(誠)さんみたいな“ザ・マジメキャラ”みたいなイメージがあって、最初は結構『自分でやろう、やろう』という感じがあったので、ちょっとしんどかったですね」と就任当初はその立ち位置を測りかねていたという。 キッカケになったのは、大宮アルディージャの特別指定選手として出場したルヴァンカップでの経験だ。「ルヴァンで試合に出た時に、東洋の先輩の石川俊輝さんがキャプテンをやっていたんですけど、石川さんが前線からプレスをガンガン掛けたりして、そういう部分でチームを引っ張っているのを見て、『自分ができることでチームを引っ張っていけばいいんだな』と感じて、そこから肩の力が抜けて、プレーに集中できるようになったんです」。 「チームにはいろいろな選手がいて、そういう選手たちを生かしながらも、自分が先頭に立って何かを言うというよりは、周りをうまくカバーしたり、気を遣って周りを見たりして、自分の色を出しながらやれてきたので、ちょっと余裕が出てきたのかなって。今は『自分らしくチームをまとめていければいいな』と思えるようになりました」。 確かにこの日の試合でも、中山の表情には笑顔が目立っていた一方で、納得のいかない判定に対しては主審に対して毅然と抗議する一幕も。自分の中でキャプテンとしてのバランス感覚を掴みかけている様子も窺える。 ハーフタイムを挟むと、ゲームの流れはホームチームへ大きく傾いたものの、なかなか次の1点は遠く、結果は1-1のドロー。「今日勝てれば一番大きかったですけど、後半のような試合を続けて、できるだけ上に食らい付いていきたいなと思います」(中山)。東洋大は5勝3分け5敗の5位という成績で、1か月近い中断期間を迎えることになった。 中山のここまでを振り返る上で、欠かせないキーワードがある。それは『前十字靭帯断裂』。高校2年と3年時には左ヒザの、大学1年時には右ヒザの前十字靭帯断裂という大ケガに見舞われ、いずれも10か月近い長期離脱を強いられている。 とりわけ大学入学後の“3回目”は、それまで以上に中山のメンタルへ大きなダメージを突き付ける。「大学に入って2回目が治って、夏ぐらいに復帰して、コンスタントに90分のゲームにも出ていましたし、自分としてもコンディションが上がってきた時のケガだったので、正直気持ち的にはかなり落ちましたね」。 3年続けて同じ箇所ばかりの大ケガ。「また10か月ぐらい休まなきゃいけないわけで、『もうキツいな。サッカーをやめようかな……』というぐらいの気持ちになりましたし、心が折れそうになりましたね」。とにかく苦しい状況に陥った中山を救ってくれたのは、仲間の存在だった。 「同じ時期に同期のポンセ(尾森世知)が同じケガをしてしまったんですけど、アイツの存在も大きかったですね。アイツに負けじとリハビリしてやろうという気持ちもありましたし、ちょっと後に同じケガをした宮市(亮)さんもそうですけど、いろいろな人がケガをしている話も聞いたりして、『ああ、オレよりしんどい人もいるな』と感じましたし、他の人のパワーをもらいながら、もう1回頑張ろうと思えました」。 加えて語り落とせないのは、いつだって一番の味方でいてくれた家族の存在だ。「やっぱり3回目にケガした日に迎えに来てもらった時は相当しんどかったですし、親も見えないところで泣いていたんだろうなというのも感じていました。でも、いつも自分の前では笑顔で迎え入れてくれますし、『一緒に頑張ろう』と言ってくれて、そこは小さい頃からずっと変わらないので、本当に感謝しています」。家族を喜ばせたいというモチベーションが、中山を前へと歩ませてきたことに疑いの余地はない。 紆余曲折の末に勝ち獲った、再びアルディージャのエンブレムを纏ってプレーする権利。ジュニアでプレーしていた小学生時代から憧れていたトップチームで、自分が仲間たちと成し遂げたいことは、明確過ぎるぐらい明確だ。 「自分が小学生や中学生の頃にNACK5スタジアムに試合を見に行っていた時は、J1の舞台で戦っていたので、今は順当に行けばJ2に上がれるような順位にいますけど、いずれはJ1で戦うクラブに戻したいですね。あとはやっぱり“さいたまダービー”というのは自分たちも見に行っていたので、その舞台に同期の(福井)啓太と(大澤)朋也と3人で一緒に立てたら、そんな嬉しいことはないですし、クラブが上に進むために自分にできることをやっていきたいなと思います」。 オレンジのDNAはその身体に深く、濃く、刻まれている。3度も繰り返された大ケガを、そのたびに乗り越えてきた不屈のプレーメイカー。キャプテンという重責を担うことで、心身ともに成長を続けてきた中山昂大は、残された大学生活を全力で戦い抜き、胸を張ってJリーグの舞台へと飛び込んでいく。 (取材・文 土屋雅史)