組織のリーダーが不倫…。道ならぬ恋のお相手を重用するのはあり? 歴史上にもいた「恋愛脳キツめリーダー」
「不適切な関係」を諫められるのは誰か
実は孝謙天皇時代の政治は、光明皇后と、そのバックアップを受けた藤原仲麻呂(この人は光明皇后の甥)がリードしていた。そのため孝謙さんは天皇大権を自由に行使できないうちに、淳仁天皇(この人は仲麻呂の家に住んでいた)に譲位することになる。 しかし光明皇后が亡くなり、仲麻呂は権力基盤を喪失。孝謙太上天皇が権力を発揮しはじめた時期に、道鏡と出会ったのでした。 当時、いろんな噂が飛び交ったことでしょう。歴史上でもいろいろスキャンダラスなことが面白おかしく語られますが、その「不適切な関係」を諌めることができるのは誰か。天皇家のプライベート事情に口を出すのは臣下には無理です。 結果としてある意味、その貧乏くじを引かされたのが淳仁天皇ですが、孝謙さんを諌めた結果、関係は劇的に悪化。 藤原仲麻呂のほうは反乱を起こして滅びますが、のちに淳仁天皇も淡路に流されてしまう。そして「淡路廃帝」として歴史に残ることになります。 それも無理はないのかもしれません。孝謙さんは当時40代なかば。十分な大人の公人です。 そこでプライベートな事情のことで口を出されたら、それがたとえ善意にもとづくものであっても、「あなたのために言うんだけどさぁ」という忠告であっても、激怒するのも無理もないのかもしれません。
道鏡の野心を砕いた「宇佐八幡宮神託事件」
「続日本紀」には孝謙太上天皇が淳仁天皇に語った “「これは朕が愚かであるために、このように云うのであろうと思うと恥ずかしく、みっともなく思う」” (「続日本紀」全現代語訳 宇治谷孟) という言葉があります。これを読むと、めちゃくちゃ怒っているのがわかります。 淳仁天皇を淡路送りにした後、孝謙さん自身が天皇に復帰し称徳天皇となる。 そして道鏡は宗教担当の人間でありながら、極めて異例なことに、政治面の重職も兼ねた存在となり、ついには太政大臣禅師として臣下のトップに立ちました。 そして起こったのが「宇佐八幡宮神託事件」です。「道鏡を皇位につけたら天下は安泰」というお告げが、豊前国(大分県)の宇佐八幡宮から送られてきた。貴族たちは愕然としたことでしょう。 しかし和気清麻呂があらためて神託を確認することになり大分県まで旅をする。 ちなみに旅立ちのとき清麻呂は道鏡から、「吉報を持って戻れば重く用いるぞ」と持ちかけられたそうです。 しかし結果、「皇位には必ず皇統の人を立てなさい。無道の人は早く排除しなさい」という神託をあらためて得て帰る。その結果、清麻呂も、わざわざ穢麻呂に改名された上大隅(鹿児島県)に流されてしまうのですが。