組織のリーダーが不倫…。道ならぬ恋のお相手を重用するのはあり? 歴史上にもいた「恋愛脳キツめリーダー」
結局、道鏡に譲位することはできず、やがて孝謙さんは亡くなる。後ろ盾を失った道鏡は、下野(栃木県)のお寺の僧として左遷されてしまいました。 役人にハードな勤務を命じている道鏡本人の文書が奈良博物館に残っているそうですから、わりにパワハラ体質ではあった。「続日本紀」によれば、ですが、お寺をばんばん建てて民を苦しめ、彼が権力を握った時代は世の中も荒れたそうです。 しかし、かといって本人が天皇になりたいという野望を持つほどの「怪僧」だったのかどうか。 後ろ盾をなくした後に「一族皆殺し」のような目に遭わず、本人も左遷程度で済んでいるところを見ると、そこまでは貴族たちの恨みを買っていない。とことん「やりたい放題」をやっていたわけではないのかもしれません。 また孝謙さん自身も「恋愛脳がキツい人」と見られがちですが、どうなのか。 ご本人としては「自分のプライベートの感情を優先した」という意識ではなかったのかもしれません。
私情と公の判断のあわい
日本の宗教といえば神道。しかし実はそれ以上に「仏の国」でもありました。 孝謙さんのお父さんの聖武天皇は仏教に深く帰依し、東大寺を建立した際には自ら服の袂に土を入れて運んだそうです。お母さんもまた、興福寺の五重塔を建立しています。 孝謙さん自身も出家し仏道の人となり、その身で政務を行っていますが、「仏陀の教えでこの国を幸せにする」という方針はご両親から受け継いだ伝統的な政策であり、素晴らしい僧侶である道鏡をトップに据えることはその完成形と考えていたのかもしれません。 孝謙さんの信仰は非常にガチで、その詔を読むと「才能も徳も薄い自分は、誤って天皇になってしまった。しかし仏陀の悟りを仰ぐことでこの国に暮らす人たちは幸せになる」という"思想"を、うかがうことができます。
道鏡に対する姿勢も決して「恋人」といったデレデレした雰囲気ではなく、あくまで一貫して「師」。 私情に流されていたわけではない。あくまで公の判断と考えていた。だからこそ淳仁天皇に激怒したのかもしれません。 もっとも「自分の信仰する宗教家を組織に引き入れて、トップの座を譲ろうとした」と考えると、それはそれで「こんな上司は嫌だ。もっと嫌だ」という話になるかもしれませんが。 日本における上場企業の女性役員の割合は2020年の段階で10.7%と、非常に低い。しかしそもそも神話の主神の天照大神は女性ですし、かつて大乱が起こったときも、卑弥呼をトップにすることでようやく収まった。 政治家としても「壬申の乱」首謀者説があるほどの超大物、持統天皇が現れ、「この国のかたち」を定める大きな業績を残しています。しかし孝謙、称徳天皇の後は江戸時代まで850年ほども女帝は現れなくなりました。