爆撃機の「お尻にエンジンもう1発!」予算争いの対抗策で生まれた“ハイブリッド爆撃機”とは?「これなら核積める」
「時代のあだ花」だったか? 空母用の核爆撃機
燃料に関しては、R-2800用の航空ガソリンとJ33用のジェット燃料を別々に搭載するのでは効率が悪いため、使用する燃料は航空ガソリンに統一されていました。 また、機体が大柄なので一般的な艦上機同様に主翼が折り畳めるだけでなく、空母の格納庫甲板に収めやすくするため、垂直尾翼も水平尾翼の直上で右に折ることができるようになっていました。 こうして生まれた新型の艦上攻撃機はAJ「サヴェージ」と名付けられ、1948年7月3日に初飛行します。そして、急速に悪化する東西冷戦下、翌1949年には早くも部隊運用が開始されました。ちなみに「サヴェージ」とは「獰猛な人」という意味です。 AJ「サヴェージ」には初期型のAJ-1と、エンジン出力の向上などが施されたAJ-2、そして写真偵察型のAJ-2Pなどがあります。1962年にはアメリカ3軍の航空機呼称が統一化されたことにより、改めてA-2の型番が付与されています。 しかし、ジェット艦上攻撃機ダグラスA-3「スカイウォーリアー」が戦力化されると、「サヴェージ」は急速に第一線から引き上げられました。とはいえ、それでも大柄な機体を活かして、偵察任務のほか、一部の機体は給油装置を搭載し艦上空中給油機として用いられています。 東西冷戦初期に、アメリカ海軍が空母から核攻撃できるということを実証するために配備した「サヴェージ」でしたが、急速に進むジェット化の流れのなかで旧式化・陳腐化は否めず、1960年代前半に退役しました。 ただ、その後、水中発射型の弾道ミサイルと原子力潜水艦がともに実用化され、「戦略ミサイル原潜」というものが新たに生まれたことで、今ではアメリカ海軍の国家戦略における重要な一翼として位置づけられています。 むしろ空軍の戦略爆撃機の方が、弾道ミサイルの導入によって、その数を大幅に減らしたので、その点は「歴史の皮肉」と言えるのかもしれません。
白石 光(戦史研究家)