有村架純&坂口健太郎、脚本開発から参加した最新作の秘話から初対面までを遡る【「さよならのつづき」インタビュー】
これまで多くの作品で共演してきた盟友、有村架純と坂口健太郎。ふたりが「ひよっこ」の脚本家・岡田惠和&黒崎博監督と組み、オリジナル作品となるNetflixシリーズを創り上げた。11月14日より配信開始となる「さよならのつづき」(全8話)だ。 【フォトギャラリー】有村架純と坂口健太郎の撮り下ろし写真<全5枚> プロポーズされた日に最愛の恋人・雄介(生田斗真)を失ってしまったさえ子(有村架純)。雄介の心臓を移植され、一命をとりとめた成瀬(坂口健太郎)。2人は運命に導かれるように巡り合い、意気投合していく。その一方で移植後、成瀬には「コーヒーが飲めるようになる」「ピアノを弾けるようになる」といった変化が生じる。まるで生前の雄介のように――。 有村と坂口は本作の脚本開発段階から参加し、タイトル候補も考えたというほど主体的に関わってきたという。切ないラブストーリーの制作の裏側には、何があったのか。初対面時の想い出から、じっくりと語っていただいた。(取材・文/SYO 撮影/間庭裕基) ――おふたりは共演数も多いかと思いますが、初対面や知り合って初期のころを覚えていますか? 坂口:初めては集英社オレンジ文庫の広告(2014)でした。 有村:2人一緒はスチールも撮影くらいだったので、あまり話す時間もなく――ただちょうどそのときに私が舞台「ジャンヌ・ダルク」の稽古中で、その話をチラッとしました。でも本当にそれくらいだったかと思います。 坂口:いまでこそ「初めまして」でもこんな感じでいけちゃいますが、その当時の僕はまだなかなか自分からオープンに行くことはできませんでした。 有村:健ちゃんもまだお芝居の仕事をし始めたくらいだったもんね。 坂口:そうそう。しっかり仲良くなったのは「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」(16)で、同世代のキャストが6人集まったこともあって一気に距離感が近づきました。 有村:声のお仕事でも2作品ぐらいご一緒しました。 坂口:そう考えると、宣伝も込みで1年に1回くらいはご一緒していました。そりゃあ仲良くなるよね。こうした気心の知れた仲だったことは、「さよならのつづき」にもうまく作用してくれたと思います。 ――おふたり×脚本家・岡田惠和さんは「そして、生きる」(19)でも組まれていますが、今回はまた新たなチャレンジとなりましたね。 有村:さえ子の表現方法についてお話すると、今回は今まであまり挑戦してこなかったようなアプローチを少しばかりできたらいいなと思っていました。本作の登場人物は海外に住んでいる方のような身振り手振りが特徴的で、普段より表現する範囲を少し広めにとって、前に出していくことでより魅力的に映るところがあると感じました。その中で自分はどんなことができるだろう、とにかくやってみようと色々トライした撮影でした。「ちょっとやりすぎたかな」「ここは引こう」といったことを考えながら自分の喜怒哀楽を出す意識を持って、お芝居していたように思います。身近にいるスタッフさんに「いまのはどうでしたか」と意見を伺って、客観的な目線でバランスを取っていただきながら進めていきました。 坂口:僕は何もかも難しかったです。心が動いてしまうときに、成瀬自身なのか、雄介の心臓がそうさせているのか――その表現はとても大変でした。仮に「いま雄介のパーセンテージが40%です」となったとしても、セリフで説明するわけではないので観ていただく方に感じてもらうことしかできません。成瀬を残しつつ、心臓がさえ子の方向に向いている状態をどう表現したらいいのか、雄介っぽさを入れ過ぎると(成瀬の妻の)ミキ(中村ゆり)のことを忘れてしまいそうになるので、試行錯誤の日々でした。モニターやレンズを通して全体を見ている黒崎博監督や撮影監督の山田康介さんに聞いたりしながら演じていきましたが、いまだに「これが正解」というものは正直ありません。 有村:この物語の設定は、誰もが共感できるものでは決してないかなとは思います。例えば心臓移植をされたことでドナーの記憶を一部受け継いだという記録が残っているということで、医学的なエビデンスはないとしながらも、完全なフィクションではないなかでリアリティを持たせながら演じていかなければいけませんでした。 ただ、かたや成瀬さんには奥さんがいるため、普通に演じてしまうと安直な考えではありますが――不倫の物語という風になってしまいます。そうなると自分の中では怖いなという想いがあって、悩みはしました。「人が愛されたこと/愛したことの記憶は永遠に残り続ける」というテーマを純度を高く持って演じ切ることが大切になる物語だろうと感じていましたから。 坂口:それでいうと、さえ子とミキの駅のホームでのやり取りは素晴らしかったです。僕は現場にいないシーンですが、台本を読んで「このシーンは心情的にもなかなかしんどいよな」と感じていました。このやり取りの仕方によっては、そのエピソードの色が決まってしまうくらい重要なものだと思いましたし、中村さんがこのテンションで来るとして架純ちゃんがどう返すかは個人的に楽しみにしていたところでもありました。ウェットやシリアスにすることもできるなか、出来上がったシーンにはどこか軽やかさが漂っていてとても素敵でした。 有村:あのシーンの撮影時にはすごく緊張感がありました。「もう会わないでほしい」というミキに対して、さえ子は「私は会います」と自分の気持ちを素直にぶつけますが、1歩間違えたら「私は悪くない」という傲慢な主張に見えかねないため、怖かったです。 ――有村さんは今回の坂口さんのお芝居をどのように受け止められましたか? 有村:健ちゃんも今回ご一緒するまでに様々な作品を経験されて、どんどん風格が出てきたように感じます。重心がどんどん下にいってどしっとした感じが、吐く言葉の力強さなどから伝わってきました。すごく素敵に年を重ねられていると感じました。 ――ちなみに、おふたりが演じるうえで役への共感は必須なものなのか、それともかならずしもそうではなく、多少距離があったりわからなかったりしても大丈夫なものなのか、どちらでしょう。 有村:私は後者です。特に本作に関しては、観終わった後に「ああだよね、こうだよね」と語り合ってくれる作品でもあると感じますし、「正解はこれだよ」と提示していない以上、役への向き合い方もそれに準ずる形になりました。自分自身も大人になればなるほどそうなっていくといいますか、20代から30代に差し掛かったちょうど間くらいのラブストーリーが出来たのかなと思います。 坂口:僕も、演じる役を完璧に理解はしていなくてもいいと思います。そもそも100%理解することは不可能ですし。ただその中で、なるべく共感はしていたいと思っています。成瀬のチョイスに対して「自分だったらそうはしない」というのもありますが、彼がどういう気持ちでその選択肢を選んだのかは肯定してあげたい、という意味での“共感”になります。 ――今回は脚本作りからおふたりが参加されたと伺っています。おふたりの歩まれてきたキャリアの中では、珍しいものなのでしょうか。 有村:そこのバランス感も難しいものではあるなと思っていて、というのもあまり踏み込みすぎてもよくないと感じるときもあれば、みんなで作っているから話し合うのが一番クリーンだという考えもあるからです。今回はNetflixさんの方から「どうですか」とお伺いを立てて下さったことで、自分の中でも言いやすくなりました。そうした環境を作って下さったことに感謝しています。やはり、何度もホン打ち(脚本の打ち合わせ)を行いながら作品を作っていくことで、自分自身も同じ熱量を持って取り組むことができるからプラスでしかないのかなとは思います。ただ、そうしたことが毎回映画や民放ドラマでできるかというと、そうではありません。まだそういった取り組みが浸透しているわけではないためです。とはいえ、自分がどんどん介入していくことで、自分の発言に対する責任感や作品により深く携わっていく自覚が芽生えること自体は良いことだと思っています。 坂口:僕はいつの間にか、ホンに対して喋れるようになりました。ある程度番手がしっかりした役を任されると「台本を読んでどうだった?」と聞いていただける機会も増えるので、「こう感じました」「こういう方向もあるかもしれません」というフィードバックを続けているうちに鍛えられたのかなと思います。昔は与えられたものに100%で応えることが大事だと思ってはいたのですが、いま架純ちゃんが言ってくれたように責任が出てくる立場になってきたことも大きいかもしれません。見てくれはこのままで役を演じるわけですが、そこに自分のニュアンスや考えが少しでも反映されると、やっぱりもうちょっと感情が乗ってきますから。ただ、我々が脚本制作に参加することはそのぶんどうしても時間が必要になってしまうので、塩梅は難しいところです。でも個人的にはできる限り続けていきたいと思っています。今回は2人で打ち合わせもしたもんね。 有村:そうですね。現場に入る前に、お互いの作品の感想と気になった部分を共有しました。そのうえで、現場でも割と頻繁にコミュニケーションを取って作っていきました。 ――そこにプラスして、先ほど有村さんがおっしゃった「とにかくやってみよう」精神があったわけですね。 有村:どうしても頭で考えると立ち止まってしまうので、動いてみないとわからないことがたくさんありますから。健ちゃんもよく「とりあえずやってみよう」と言ってくれました。黒崎監督はずっとNHKで作品作りを行われていた方ですが、フリーになって初めての大作が「さよならのつづき」で、たくさん考えて悩んでいらっしゃる姿を現場で見てきましたし、今回は監督・撮影監督・美術監督と3人の監督がいらっしゃるような体制だったので、みんなで「まずやってみよう」を合言葉的に持っていた感覚はあります。 坂口:今回はやってみると感情がわかることが本当に多く、逆に様々なことを固めすぎる恐怖感がありました。言葉での説明が過多になりすぎるほど「そういうもの」になってしまうから、まずは一回感覚を大事にしてみようという意識が働いていたように思います。正解がわからないから、成瀬のシーンで3パターン撮ってみたこともありました。その他にも、例えば段取り(本番前の動きの確認)の中で「これじゃない、こっちかな」と色々話し合ったり試したりして結局最初の動きに戻す、ということがありましたが、動き自体は一緒でも監督陣も含めてディスカッションしたうえだと中身は全く違ったものになります。そうした共有は日常的に行っていました。お芝居の話だけでなくて、その瞬間自分たちが考えていることになるべく蓋をしないようには心がけていました。特に今回は長丁場の撮影ですし、我慢しない方がいいと思いました。現場には持ち込みませんが、しんどいときはこっそり架純ちゃんに素直に共有していました。頼ることって、すごく大事だと思います。 有村:そうですね。自分たちの立場上ストレートに「しんどい」「疲れた」とはあまり言えませんが、健ちゃんだからこそ本音を言えました。その共通認識があったから「一緒に頑張ろう」と思えました。 ――最後に、お互いが観客としてずっと忘れられないラブストーリーがあれば教えていただけないでしょうか。 坂口:僕は中国の「ラヴソング」(96)という映画です。この作品も枷(かせ)を抱えたラブストーリーで、「さよならのつづき」に通じるところがあるかもしれません。本作もそうですが、ラブストーリーと聞くと連想しがちな“美しさ”だけでなく、シリアスでリアルな空気感を纏った作品です。 有村:健ちゃんの中国映画に引っ張られてしまいましたが、私は「僕らの先にある道」(18)がとても好きでした。昔付き合っていた恋人と10年後に偶然再会するけれど、もうお互いに大切な人がいて、決して結ばれないふたりが昔を回想していく物語です。人生において忘れられない恋愛はあるものかと思いますし、結ばれることが必ずしもハッピーエンドではないという意味でも、眩しくて美しい作品でした。