新米の出荷が始まった「コシヒカリ」、日本を代表するお米の発祥は何県?
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新米コシヒカリの出荷が始まった。この新米特有の香り、ツヤ、みずみずしさを日本人は心待ちにしている。アツアツの白米にアジの開きやサンマの塩焼きを大根おろしと醤油でいただく。いや、梅干しだけでもいい。口のなかでおかずの塩味や旨味、そしてお米の甘みが一緒になって、もうそれだけで幸せ……。
コシヒカリの食味をめぐる産地間競争
コシヒカリのなかでも新潟県の「魚沼産コシヒカリ」は、ブランド米として全国に認知され、味も値段も一級品。長野県佐久市産(旧浅科村)の「五郎兵衛米」は、魚沼産の甘みと粘りをしのぐとも言われる。とにかく、お米と言えばコシヒカリ。現在育成されているお米の品種は250から300もあると言われるが、全国で収穫される品種のうち約3割はコシヒカリと、その人気は際立って高い。 「目指せ魚沼産」とばかりに、産地間でコシヒカリの食味を競っている状況にあって、すっかりコシヒカリは新潟県で生まれ育ったというイメージが定着している。こういう話をすると、決まって反応するのが福井県の人たちで「コシヒカリは福井で生まれたんやけどの」と苦々しい思いをしてしまう。
福井なのか? 新潟なのか? コシヒカリのルーツをたどる
しかし、本当にコシヒカリは福井県で生まれたのだろうか? 「また元祖争い?」という気がしないでもないけれど、結論から言うと、コシヒカリという品種は、福井県の農業試験場(旧・農事試験場)で誕生した。だから福井市内にある県農業試験場の敷地内は、「コシヒカリの里」と書かれた石碑が誇らしげに立っている。ただ、生い立ちは少しややこしい。
そもそもは戦時中の1944年、今の新潟県農業総合研究所で「いもち病」に強いお米を作ることを目的に、「農林22号」を母とし、「農林1号」を父として稲の人工交配が始まった。この交配でできた65株のうち20株が現在の福井県農業試験場に送られ、試験品種として研究が続けられた。 1948年の福井地震による被害を逃れるなど幸運に恵まれ、そのお米は1953年に「越南17号」と呼ばれるお米になる。これが後の「コシヒカリ」で、この研究で中心的な役割を果たしたのが、後に試験場長となる石墨慶一郎博士だった。このため、石墨博士は「コシヒカリの父」とも呼ばれる。