「低アル飲料」を喜んで飲む人が知らない“真実” むしろ時代によってその基準は変化してきた
つまり、もともとは本来の購買層ではなかった女性たちのために、低アルは販売されていたのだが、それから30年近く経った今では、女性だけではなく、日常的にあまり飲酒しない若者をターゲットにするようになったのだ。 ちなみに、1988年9月15日号の『DIME』(小学館)の「ビール大好き女子大生・OL10人が選ぶ ノンアルコール 低アルコール ビールはこれがベスト」という記事では、アルコール度数1%未満の今でいう微アルも低アルとして取り上げられていた。
前記事では「微アル市場ができあがってから3年が経過している」と紹介したが、実は36年も前からすでに、その市場に該当する商品自体は存在していたのである。市場はすでにあったところに、微アルという新たな枠組みを飲料メーカー側が設けたのが実態なのだ。 ■まだ日本各地に「適正飲酒」の理念は届いていない このようにRTD市場のはやり廃りは目まぐるしい。そして、酒類メーカーは常に新たな消費者を求めているのだ。今後も身体を壊した者たちが代替品として、飲酒習慣がない者にも興味を持ってもらうためにも、新たな商品が出ては、お気に入りの商品はいつの間にかなくなっていく。
その一方で、課題というと大袈裟かもしれないが、今は完全にノンアルしか飲んでいない筆者が感じたことがある。それは、微アルどころかノンアルを置いてあるかどうかの地域差が激しいのだ。 例えば筆者は東京23区外の住宅街に住んでいるのだが、ここではコンビニやスーパーマーケットには、最低3種類のノンアルと微アルがある。低アルは入れ替わりが激しいくらいだ。 しかし、これが渋谷や新宿になるとノンアルが2種類あればいいほうで、基本的には置いていない。むしろ、ノンアルよりも微アルを探すほうが難しいときもある。単純に繁華街でノンアルや微アルは売れないということだろう。
東京はまだいい。これが地方になると、もはやノンアルですら置いていないこともザラにある。親戚の集まりで地元・福岡に帰ると、ノンアル依存症と化した筆者はゾンビのように、ノンアルビールかノンアルレモンサワーを求めて、博多と小倉を徘徊していた。 まぁ、これも福岡という地域柄かもしれないが……。 ■ノンアルの選択肢を広げることが先決? 前編の記事では昨今の「適正飲酒」や、あえて飲まない「ソバーキュリアス」という考え方、さらにお酒を飲む人と飲まない人が尊重し合える社会を目指す「スマートドリンキング」などの理念について、筆者なりの見解を述べた。
端的に言えば、「笑止千万」「みんなメディアに踊らされているにすぎない」「そういう理念のもとで、微アルや低アルで満足できる人々は、酒がなくても豊かな人生を送れているはずだ」と一刀両断したわけだが、実態としては、「適正飲酒」の理念はまだまだ日本各地にまで届いていないのだろう。 事業と、社会的責任の両立のため、さまざまな工夫を重ねている酒類メーカー。今後どんな状況になっていくのかは現段階では予想できないが、少なくとも、ノンアル、微アル、低アルという選択肢を広げていくことが先なのは間違いないだろう。
千駄木 雄大 :編集者/ライター