古典の現代語訳から超絶技巧で編まれたセーターまで 作家・橋本治さんの“几帳面さ”と“努力”とは
ジャンルを超越して活躍し続けた稀代の作家・橋本治を偲ぶ特別展が神奈川近代文学館(横浜市中区)で6月2日まで開催中だ。AERA 2024年5月13日号より。 【写真】美しい直筆原稿はこちら * * * 2019年に70歳で亡くなった作家・橋本治さん。小説にとどまらず、ジャンルを超越して活躍し続けた、稀代の作家を偲ぶ「帰って来た橋本治」展が神奈川近代文学館(以下、文学館)で開催中だ。 ■直筆原稿、セーターも 1984年の開館以来、戦後生まれの作家の展覧会は今回が初めてだという。本展では作家・橋本治の人生を振り返りながら、作家としての仕事、そしてイラストやセーターなどのアートワークについて、膨大な業績を概観できる構成になっている。 学園紛争中の68年、橋本さんが描いた東大駒場祭のポスターは20あまりの作品の中から選ばれ、一躍全国に名前が知られるようになった。本展ではイラストレーター時代の作品も展示。 イラストレーターとして順調に仕事をしていた29歳のとき、『桃尻娘』で小説現代新人賞佳作を受賞する。以来、少女漫画の評論やエッセイから古典の現代語訳『桃尻語訳 枕草子』まで、瞬く間に仕事の幅を広げた。 その一方で超絶技巧のセーターを編み、ファッションショーの演出を手掛け、演劇の脚本や演出も手がけている。どうにもまとめにくい、稀有な作家の仕事と生涯が、整理された構成で展示されている。 「橋本治という作家の全貌を紹介するために、1部に年譜的な事項を集め、2部で作家の仕事を分類して展示しました。3部ではイラストやセーターなどのアートワークに絞っています。こちらで切り口を決めるのではなく、橋本さんの多様な活動を整理して伝えることに重点を置きました」(神奈川近代文学館展覧会担当・斎藤泰子さん)
3月に『はじめての橋本治論』を刊行した、作家・演出家の千木良悠子さんはこう語る。 「展示を見ていると、生の橋本さんの声が聞こえてくるようです。天才と言われていた橋本さんですが、たとえば古典の現代語訳をする際に大量の訳語カードや家系図、長い巻物状の年表まで作っていたりと、すごい努力をなさっていたんですよね。天才ではあったのでしょうが、苦しみながら、ギリギリのところで書いていたと伝わってきます。あれだけの仕事をするのは大変だし、スマートにできるわけはなくて、そのことを隠してもいない。貴重な展示品が多いですが、橋本さんを知らない人が見ても面白いと思います」 ■資料を文学館へ寄贈 橋本さんの没後、残された直筆原稿や資料、原画などが遺族と関係者から文学館へ寄贈され、「橋本治文庫」として保存されることになった。今回の展覧会はそのお披露目でもある。今回、イベントで登壇もした橋本さんの妹・柴岡美恵子さんが橋本さんの思い出を語ってくれた。 「生前、仕事関係の方とはお会いすることもなかったし、作家というよりも、子どもの頃から一緒にいたずらをして遊んでいた兄の印象のほうが強いんです。講演もうまいと言われていましたが、事前に時間をかけて丁寧に準備をしていました。絵、セーター、小説──なんであっても生み出すために愛情を惜しみなくかけて、でも人には気づかれないようにする。そんな兄でした」 展覧会の最後にあるのは、若い読者を対象にしたシリーズの紹介だ。斎藤さんは言う。 「読者は15歳の自分だ、と橋本さんは書いています。若い読者への思いが冒頭の橋本さんへと循環するようなイメージです」 膨大な仕事をしながらも、いつも若い人へのまなざしを忘れなかった、橋本さん。その作品世界と人生に触れてほしい。(ライター・矢内裕子) ※AERA 2024年5月13日号
矢内裕子