「韓国は日本の『関東大虐殺』知らぬふりにまともに抗議したことがあるのか」
呉充功監督「虐殺を踏み続けながら両国の未来を論じられるのか」 1983年からドキュメンタリー映画で問題提起
「『1923年の関東大震災は日本の歴史であり、当時の朝鮮人虐殺は在日同胞の歴史ではないか』と言う人が今でもいます。しかし、これは数千人の朝鮮人が集団虐殺された我が民族の悲しい歴史です」 今月6日、東京都港区新橋の作業室で取材に応じた呉充功(オ・チュンゴン)監督(69)は、もどかしい心情を吐露した。呉監督は1983年の「隠された爪跡」で、1923年の関東大震災で日本の自警団、軍、警察によって引き起こされた朝鮮人虐殺を告発した。その後、40年以上にわたって朝鮮人虐殺を扱ったドキュメンタリーを制作することで、無念の死を遂げた魂を悼み、日本政府に反省と謝罪を求めてきた。 関東大震災の朝鮮人虐殺事件は、1923年9月1日に起きたマグニチュード7.9以上と推定される地震の後に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といったデマが広がったことで自警団が朝鮮人を虐殺し、これに軍と警察が加担した事件だ。日本では韓日の市民が共に活動する市民団体が中心となり、1970年代初頭から50年以上にわたって虐殺犠牲者の追悼活動が行われてきた。 この日取材に応じた呉監督の言葉には、事件発生から101年、本格的な追悼活動が始まってから半世紀が過ぎたにもかかわらず、日本政府だけでなく韓国政府もあまり変わっていないという無念さがにじんでいた。呉監督は、「関東大虐殺から100年以上にわたって日本政府が謝罪していないのはもちろん、韓国政府も、解放後もきちんと謝罪を要求したことがない」と批判した。 関東大震災の朝鮮人虐殺の記録作業を始めたのは20代のころだったが、いつのまにか70近い歳になった。「今でも日本には、関東大震災の時に『朝鮮人が日本人を殺そうとして井戸に毒を入れた』という話を信じる人がいます。そうなると、被害者だった朝鮮人が、ある人にとっては今も加害者だということになるのです。今回の映画のタイトルは『名前のない墓碑』ですが、6600人あまりの犠牲者は韓国、日本のどこにも名前が完全に刻まれていないのです」 関東大震災における「4大虐殺被害者」と呼ばれた朝鮮人、中国人、日本の自由主義者、無政府主義者のうち、最も残酷で大規模な犠牲となったのが朝鮮人だった。また、虐殺の性格を政府が助長ないしほう助した国家犯罪、自警団や青年団などが行った民衆虐殺、異なる民族の間で起きた民族犯罪の3つに区別した時、朝鮮人虐殺はこの3つがすべて当てはまる恐ろしい事件だった。 呉監督は1955年に日本の東京で生まれ、高校まで民族教育を受けて育った。1982年に横浜放送映画専門学院(現日本映画大学)で卒業作品を準備していたころ、関東大震災時の最も凄惨な朝鮮人虐殺現場の一つとして知られる東京都墨田区の荒川の近くで、被害者の遺骨発掘が試みられるというニュースに接した。当時は日本の市民社会を中心として関東大震災の朝鮮人虐殺が本格的に問題化されはじめていた。彼はこれを映画化することにした。結局、発掘現場から遺骨は出てこなかったが、彼はそこで立ち止まらなかった。発掘が行われた翌年に「隠された爪跡」を世に送り出し、続いて「払い下げられた朝鮮人」(1986年)、「1923ジェノサイド、93年間の沈黙」(2017年)などの作品で、残酷な関東大震災での朝鮮人虐殺に光を当てた。現在、彼は関東大震災の朝鮮人虐殺に関する新たなドキュメンタリー「名前のない墓碑」を年内に公開するため、編集の追い込み作業にあたっている。 呉監督は、101年がたっても歴史的事実さえ認めない日本政府を強く批判した。彼は「日本政府は目をつぶっているが、当時の朝鮮人虐殺そのものはすでに韓日の学界や市民団体などの努力でかなりの部分が確認されている」として、「今からでも日本の当局は真相究明のための努力と謝罪、反省をすべき」と指摘した。また、韓国政府の態度にも失望を隠さなかった。「韓国政府は、昨年は『関東大虐殺100年』という象徴的な年だったため、それなりに形式的にではあっても様々な行事をおこなったが、特に韓国内では、今年はそのような雰囲気を見出すことすら難しい」。実際に、済州4・3事件、5・18光州(クァンジュ)民主抗争、1987年6月抗争など、韓国近現代史に痛恨の歴史は多いが、植民地時代の凄絶な痛みの歴史である関東大震災朝鮮人虐殺の犠牲者と遺族たちは放置されている。 呉監督は、「関東大虐殺に対して一貫して知らぬ存ぜぬの態度である日本政府に対して、韓国政府はまともな抗議文でも送ったことはあるのか」として、「少なくとも関東大震災問題に対しては、かつての盧武鉉(ノ・ムヒョン)、文在寅(ムン・ジェイン)政権などの民主党政権時代にも積極的な態度を示さなかった」と批判した。そして「今も民主党は国会の半分以上を占めているのに、関東大虐殺関連特別法はなぜ可決できないのか」と問うた。国会では2014年以降、関東大震災の朝鮮人虐殺の真相究明などに関する法案が相次いで廃案となっており、第22代国会では今年7月から、「関東大虐殺事件の真相究明および被害者の名誉回復に関する特別法案」が行政安全委員会小委の審査を待っている。 日本の岸田文雄首相は、韓日の歴史問題に関して韓国政府から相次いで「譲歩」を得た後、「未来志向的な韓日関係」に重ねて言及している。これに対しても呉監督は、「関東大震災の朝鮮人虐殺事件は人が人を殺した事件だ。それも集団的に銃で、刀で、木に首をつるして数千人の他民族を虐殺した『ジェノサイド』だ」とし、「足元に埋まっている痛恨の歴史を踏み続けながら、どうして未来に向かうことができるのか」と問いただした。 東京/ホン・ソクチェ特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )