韓国、すでに弾劾審判3回目…盧武鉉・朴槿恵の運命を分けた罷免の基準は
韓国最初の大統領弾劾審判事件は2004年盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領事件だ。2004年3月12日国会で弾劾訴追案が可決された後、5月14日「棄却」決定まで合計64日(請求日含む)かかった。最初の大統領弾劾事件ということで、憲法裁判所裁判官室に初めて盗聴・傍受防止設備を設置するなど保安が強化された。 当時国会は「第17代総選挙を控えて与党『開かれたウリ党』支持発言および側近不正、国政破綻」などのさまざまな弾劾理由を主張したが、7回の弁論の末、憲法裁判所は「憲法および公職選挙法上、公務員中立義務および憲法守護義務違反はあったが、大統領の罷免を正当化するほど重大と認めることはできない」として棄却した。「大統領の具体的法違反行為が憲法秩序に積極的に逆行するか、自由民主的な基本秩序に脅威になるなど、大統領の職を維持することがこれ以上憲法守護の観点で容認できないか、大統領が国民の信任を裏切って国政を担当する資格を喪失した場合に限り、大統領に対する罷免決定が正当化される」とし、罷免基準を初めて明示した事件でもある。 8年前、朴槿恵(パク・クネ)元大統領は2016年12月9日、国会で弾劾訴追案が可決された後、2017年3月10日憲政史で唯一罷免決定を受けた大統領になった。憲法裁判所弾劾審判受付日から罷免まで合計92日かかった。 憲法裁判所は当時、朴元大統領罷免決定文で「被請求人は国民に委任された権限を私的用途に乱用し、国家機関と組織を動員してチェ・ソウォンの私益追求を助長し、国政介入を許容するなど法違反程度が重大」と判断した。続いて「結局、被請求人の憲法と法律の違背行為は国民の信任を裏切る行為として憲法守護の観点から容認できない重大な法違背行為」とし「罷免することによって得られる憲法守護の利益のほうが、大統領罷免による国家的損失を圧倒するほど大きいと認められる」として罷免を決めた。 事件が金曜日に受け付けられると、当日すぐに裁判官の会議が行われた後、「主審・姜日源(カン・イルウォン)裁判官、受命裁判所の李鎭盛(イ・ジンソン)・李貞美(イ・ジョンミ)裁判官」を発表して研究官20人規模のTF(タスクフォース、作業部会)も直ちに設けられた。最初の答弁書を1週間後に提出するよう求める要求書も受付日にすぐ送った。 国政壟断・セウォル号事件に関連し、争点も主張も多い事件だったが、先立って行われた検察の捜査結果と国民的な関心などに支えられて審理が超高速で進められた。受付直後12月内に弁論準備期日3回を終え、翌1月3日1回弁論期日から2月27日の最終弁論まで2カ月間で合計17回対審判定を開いた。基本週2回、多い時では週3回弁論期日を開く忙しい日程だった。裁判官は週末も出勤して事件を検討するなど強行軍の末に裁判官全会一致で「主文。被請求人の大統領朴槿恵(パク・クネ)を罷免する」という結論に至った。 当時、国会側イ・ミョンウン弁護士(司法研修院21期)をはじめ10人、朴元大統領側の李中煥 (イ・ジュンファン)(研修院15期)・チェ・ミョンソン(研修院28期)、ソン・ボムギュ(研修院28期)・ソ・ソンゴン(研修院17期)各弁護士をはじめ20人が代理人に選任されて正面対立した。双方ともに大量の証人申請をして一部は撤回、一部は棄却されたが。安鍾範(アン・ジョンボム)元民情首席、崔順実(チェ・スンシル)・文亨杓(ムン・ヒョンピョ)元保健福祉部長官など合計25人が証人として出席して歴代最多記録を作った。朴元大統領側は李在鎔(イ・ジェヨン)サムスン電子会長、崔泰源(チェ・テウォン)SKグループ会長、辛東彬(シン・ドンビン、重光昭夫)ロッテグループ会長、権五俊(クォン・オジュン)ポスコ会長も証人に申請したが受け入れられなかった。 審理の途中である2017年1月31日、朴漢徹(パク・ハンチョル)所長が退任した後、後任の所長を迎えられないまま8人体制で決定を下した。その後、裁判所長権限代行を務めていた李貞美裁判官も3月13日退任を控えていて「7人体制」になる危機もあったが、退任3日前の3月10日を宣告期日と決め、裁判官8人の名前で決定を下すことができた。