日本人はこのまま「絶滅」してしまうのか、総人口が2000人になる「衝撃すぎる未来」
“論壇”の無責任な議論
かたや、いわゆる“論壇”でも、人口減少への対策に関して実にピント外れな議論が目立つ。典型的なのが、「労働力不足は、AI(人工知能)の応用や移民の受け入れで解決する」とする楽観的な主張だ。 たしかに、目の前にある人手不足は、機械化や移民による穴埋めで幾分かは対応できるかもしれない。だが、日本の労働力人口は今後十数年で1000万人近くも少なくなると見込まれる。そのすべてを機械や外国人に置き換えることにはとうてい無理があろう。 最近は、悲観論が語られることを逆手に取ったような論調も多くなってきた。人口減少を何とかポジティブに捉えることが、現実を知らない聴き手にはウケるのかもしれない。「人口減少は日本にとってチャンスだ」、「人口が減ることは、むしろ経済成長にとって強みである」といった見方がそれである。 もちろん、少子高齢化が進んでも経済成長している国はある(そもそも、戦後日本の経済成長は、人口の伸びによるものではなく、イノベーション〔技術革新〕による産物だったとされる)。 「人口が減るからといって、豊かな暮らしができなくなるわけではない。生産性を向上させ、同じ労働時間で付加価値の高い仕事を行えるようにすればよいのだ。労働者1人あたりの国内総生産(GDP)が伸びさえすれば、個々の所得は増える」──短期的な視座に立てば、こうした見方も成り立つ。私も労働生産性の向上は重要だと考えており、否定するつもりはない。 ただそれは、人口減少の如何にかかわらず目指すべきことだ。労働生産性が向上すれば、人口減少問題が直ちに解決するわけではないだろう。 そしてその見方が、気休めのような都合のよいデータをかき集めて、人口減少そのものに全く問題がないかのような幻想を抱かせようとするのであれば、あまりに無責任であり、非常に危うい考えであると言わざるを得ない。 今取り上げるべきなのは、人口の絶対数が激減したり、高齢者が激増したりすることによって生じる弊害であり、それにどう対応していけばよいのかである。経済が成長し続けたとしても、少子化に歯止めがかかったり、高齢者の激増スピードが緩んだりするわけでは断じてない。 先にも述べたように、日本の少子化は簡単には止まらない。このままでは、日本という国家が成り立たなくなる。楽観論を声高に語る人々が、日本という国がいかに危ない状況に置かれているかを知らぬわけはなかろう。見て見ぬふりをするつもりなのだろうか? われわれは決して楽観論に逃げ込むことがあってはならない。“不都合な真実”であっても目を背けず、それに立ち向かう選択をしなければならないのである。