【証言】「日本人はみんな一文無しに」旧満州での貧しい生活…山田洋次監督 戦争の原体験1
■「日本人はみんな一文無しに」終戦で全てを失った生活
山田監督 「これから何が起きるかさっぱり見当もつかないし、想像もつかないし、第一にいつ日本に帰れるのか。 もちろんその日を境に、銀行も、郵便局も、不動産、あらゆる資産が全部ストップになっちゃって。日本人はみんな一文無しになっちゃうわけだ。 ぴたっと収入も無くなるわけだ」 「これからどうやって食っていくんだっていう問題。 僕はまだ中学生だったからね、そこまで考えてなかったけど、親父なんかやっぱり相当心配だったんじゃないかな」 「もちろん全員ストップだよ給料なんか。 だから現金しか使えないだろ。でも現金なんかすぐになくなっちゃうからね。 やっぱり、まず最初に売り食いだったね。色々着物とか、背広とか持っているじゃない。 そういうのを中国人の金持ちや、大連はロシア(旧ソ連)軍が占領したから、お金持っているロシアの将校たちに街頭で売るのね。地べたに並べたり、手に持ったりなんかして。そうやって少しずつ売って、お袋の着物1枚売って、それで何日か食いつなぐとか、そんなことがあったな」
――敗戦後の食糧事情について 山田監督 「もちろん配給なんかがあるわけじゃないから。食料を売っている市場みたいなのに中国人の店が並んでいるわけだ。 そこにお米とかがあるんだけれども、どんどん物価が上がって、米なんかとても買えないわけ高くて。それで、粟も買えないわけ」 「それでコウリャン。コウリャンは大体馬が食べるものなんだけど…でもコウリャンしか買えないから。コウリャンを買って帰って、それをグツグツ、1時間も2時間も煮て、真っ茶色の変な、わけわかんないご飯になっちゃうんだけど…それを食べる。そんな生活がそれからずっと1年ぐらい続いたね」 「それから売り食いの他は、アルバイトだな。 僕らもみんなアルバイトしてた。日当がでる仕事というのがあるから。例えば、ロシアの軍隊に行って、軍隊の物運びを手伝ったり、ロシアの将校の家に行って掃除したり」 「ある宴会の時、ウォッカの運び役なんかをやってね。ボーイみたいな仕事だな。そんな事をして、いくらかお金をもらうとか。多少親父に渡したり」 「全部、持てるものはみんな売っちゃったね。もう売る物も何もないし、燃料も石炭なんかも買えないから冬は寒いだろう。 そうすると、家具を壊してストーブにくべるわけね。 あと本だね。 立派なチェーホフ全集とか、バルザック全集とか立派な本が、僕の知り合いが持っていて『これみんなやるよ』と言われて、それを壊して焼くのね、それが燃料ね」