「ええ声ぇぇ~」の礎は人との出会い ── お気楽ゴン太の声・ナレーター畑中ふうの生き方
大阪に戻りナレーションの仕事に。今ではレギュラー多数
28歳。劇団のメンバーを見ても周りは若い人ばかり。「このままでは埋もれていく。メシを食えるようにならな」と考え東京生活を1年で切り上げ大阪へ帰ってきた。大学時代の後輩にABC朝日放送の中邨雄二アナウンサーがおり相談。そこで紹介されたのが、大阪の芸能プロダクションだった。 その当時はバブルで景気が良く、結婚式の司会や企業のPRビデオなどに出た。その中に「ナレーション」の仕事もありギャラも上がった。だが2年後「結婚式の司会とかでなく、いろんなことに挑戦したい」と考えフリーに。不安もあったが1か月もすると、ラジオCMや建築記録のVTR、医療機器のVTRナレーションなどの仕事がきだした。 CMなどの仕事で出入りしていた開局直後のエフエム京都(α-STATION)の音楽特番パーソナリティに抜擢。そのまま「畑中ケイジ」の名でレギュラー番組を持った。後にこの番組を聴いていたFM大阪の番組関係者と知り合い「実験的に深夜トーク番組をやりたい」と言われ、歌手の打越元久と知り合い冠番組「RADIO HAAFUU」を担当した。 そのラジオも好評を博し、ある大阪のテレビ制作会社の社員から「ラジオおもしろいですね。いま『たかじん・ナオコのシャベタリーノ!(MBS毎日放送)』という番組をやってて、ナレーターを探してて」と電話をくれた。それは、企業PRビデオの仕事で、当時ADをしていた人からだった。後に、同番組のナレーションを担当、これが本格的なテレビナレーターの第一歩だった。 そこからは関西テレビの「たかじん胸いっぱい」をはじめ、「ごきげん!ブランニュ」「ビーバップハイヒール」(いずれもABC朝日放送)。「MUSIC EDGE + Osaka Style」(MBS毎日放送)など、いずれも10年~20年担当している。「M-1グランプリ」も担当した。 また、CM「ほねっこシリーズ」のお気楽ゴン太くんの声でも人気を博し、スギ薬局の店内アナウンスの「ポント倍デー」という声も全国的に知られている。