「吉田調書」など公開 菅直人元首相は福島原発事故で何を批判されているのか?
(2)現地視察時に怒鳴る
3月12日朝の現地視察での管氏は非常にイラだった態度だったと指摘されています。 「今度は免震棟に入った。そこに交代勤務だと思うのですが、作業員の人が大勢いた。中には上半身裸というか、除染などの人だと思うのですが、大変だなと思ったのです。その前で菅はなんと言ったかというと、何でおれがここに来たと思っているのだと言ったのです。これには私はあきれました」(池田元久元経済産業副大臣の聴取結果書「池田調書」) (菅氏の反論=要旨) ・声が大きかったかどうかより、誰と何を話していたかが重要。 ・バスの中では声がよく聞こえず、声が大きくなっていたかもしれない。誤解もある。
(3)「東電撤退」問題と本店乗り込み
3月15日午前3時頃に東電・清水正孝社長(当時)から海江田万里経産相(当時)に現場職員を福島第二原発に退避させられないかという連絡が入り、東電が全面撤退するのではないかと疑った菅氏は午前5時半に東電本店に乗り込み「撤退したら東電は百パーセントつぶれる」「逃げてみたって逃げ切れないぞ」などと怒鳴ったとされています。これをテレビ会話回線で見ていた吉田氏は不快感を表明しています。 「『撤退』みたいな言葉は、菅が言ったのか、誰が言ったのか知りませんけれども、そんな言葉を使うわけがないですよ」 「ほとんど何をしゃべったか分からないですけれども、気分悪かったことだけ覚えています」(吉田調書) (菅氏の反論=要旨) ・福島第一原発撤退の意向は、清水社長の口から出たもの。電話を受けた海江田経産相、枝野官房長官は東電が全面撤退の了解を求めてきたと解釈していた。 ・東電の全面撤退を阻止するために、本店に向かった。むしろこの行動によって事故の拡大を封じ込めることができた。
(4)原発への海水注入
3月12日19時4分、福島第一原発にいた吉田所長は海水注入に踏み切りますが、その直後に首相官邸からかかってきた電話でこれを中断するよう指示を受けました。この指示をめぐり、2011年5月21日の読売新聞は「首相意向で海水注入中断」と一面で大きく報じますが、菅氏はこれを全面的に否定。その後吉田調書などから、この電話をかけたのは当時官邸に詰めていた東電の武黒一郎フェローだったことが明らかになっています。また、吉田所長はこの指示を受け入れず、実際には海水注入をそのまま継続していたことも分かりました。しかし、この中断指示が武黒フェローや東電本店の判断だったのか(菅氏はそう主張)、官邸の意向や空気を読んでのものだったのかは、まだはっきりしていません。