「日本はとても良い国だと思う。でも…」外国人記者が語った日本の“悲しさ”とは?
多くの犠牲者を出した東日本大地震だが、実は「外国人被災者」の報道は国内でほとんどされていない。誰にも知られることのなかった外国人被災者について、日本人記者が取材した。今回は、パキスタン人のトラック運転手についてお伝えする。※本稿は、三浦英之著『涙にも国籍はあるのでしょうか 津波で亡くなった外国人をたどって』(新潮社)を一部抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● パキスタン人からの突然の電話 「震災で亡くなったのは友人だ」 「東北地方でパキスタン人が亡くなったというのは本当か?」 私のスマートフォンに突然、パキスタンのテレビ局でリポーターをしているという男性から連絡が入ったのは、宇都宮の出張から戻って数週間が過ぎた頃だった。 私は彼の意図がすぐにはのみ込めなかった。彼の英語が若干聞き取りにくいものであったことに加え、彼が「私はパキスタン人のラシッド・サマドです」と最初に自らの国籍と本名を名乗ったことにも若干の違和感を覚えた。なぜ私の携帯電話の番号を知り得ているのかも不審だった。 しかし、警戒しながらしばらく会話を交わしていると、その電話の内容が彼の一方的な勘違いであることが徐々にわかってきた。サマドと名乗る男性の説明によると、彼は私が宇都宮出張の際に訪問したモスクの関係者から「どうやら東北でパキスタン人が亡くなったらしい」との情報提供を受け、私の名刺に書かれた携帯番号に電話を掛けてきたらしかった。 「違う」と私はサマドの情報を否定した。 「私が捜しているのは最近亡くなったパキスタン人じゃない。12年前に東日本大震災の津波で亡くなったパキスタン人です」 「12年前の津波で?」 「そうなんです」と私は言った。 「実は東日本大震災の津波でパキスタン人が一人亡くなっている。場所はわからないのだけれど……」 「それは俺の友人だ」 えっ、と今度は私が驚く番だった。 「あなたはサレーム・モハメド・アヤズを知っているのですか?」 「もちろんだ」とスマートフォンの向こう側で声が言った。 「アヤズは俺の親友だ。津波で亡くなったとき、彼の葬儀にも出席している」 「葬儀も行われたのですか?」 「ああ、坂東市のモスクでね。100人を超えるパキスタン人が参加して、彼の遺体に別れを告げた」 私は突然飛び込んできた情報をうまく整理することができないまま、気が付くと、「もし可能ならば、詳しく話を聞かせていただけないでしょうか?」とスマートフォン越しに取材を申し込んでいた。 「まあ、良いけれど……」と少し沈黙があってサマドが応じた。 「俺も忙しいから、短めに頼むよ」 私は面会取材を希望した。もともと電話取材を是としていない、時間を取ってもらって面会し、人間関係を作ってからでないと、うまく質問ができないタイプの取材者なのだ、と彼に電話で説明をした。