絶対服従「上官の命令は天皇の命令」 命令を受けるものは単なる道具だった~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#51
上官の命令は天皇の命令
<嘆願書>(※現代風に読みやすく書き換えた箇所あり) 日本の軍人は「陸海軍は天皇の陸海軍であり、上官の命令は天皇の命令と心得よ」と教えられてきました 上官の命令に対する絶対服従は、軍紀の基本として、軍人の第二の天性でなければならぬとまで強調されて来ました 従って一旦上官から命令が発せられた時は、実行の困難を訴えることはもちろん、その当否を議することも禁止されていたのであります これは他面、指揮官に極めて重い責任を負わせたものであり、部下としてはそれが士官であると下士官兵であるとを問わず、一旦発せられた命令に対してなし得ることはただ、これに従うだけでありました 部下としては上官が不法の命令を発するというようなことは夢想すらしなかったのであります 〈写真:降伏文書の調印(米国立公文書館所蔵)〉
絶対服従は五・一五事件の影響
<嘆願書> なお、日本海軍が服従の絶対性を特に強く要請するに至った理由としては、次のことが考えられます (イ)海軍の規律は軍艦による戦闘を中心として、規定されており、軍艦を単位とする戦闘には、乗員の意思は常に急速に且つ強固に統一されなければならない為、指揮官の命令の構成が極度に重んぜられねばならぬとされました (ロ)1933年5月15日、総理大臣犬養毅を殺害した事件に海軍士官が参加したことがあって以来、海軍では邸内の統制を強化する為、軍人の政治不関与と共に士官の命令に対する絶対服従を教育上強調するに至りました 〈写真:降伏文書調印に関する詔書(国立公文書館所蔵)〉
命令を受ける者は単なる道具
<嘆願書> その様な理由により強調されて来た、命令に対する服従の要求は、開戦後、更に強化されるに至りました それは1942年に海軍刑法が改正され、上官の命令に反抗し、又は服従しない者に対する刑が加重されたことによっても明らかであります このようにして受令者の人格は無視され、それは発令者の単なる道具のような状態になっていたと言うことができるのでありまして、不法命令に基づいて犯行を敢えてした受令者の責任は、日本の軍人に関する限り軽微なものと見なければならないと思うのであります BC級戦犯を扱った横浜裁判で罪に問われたのは、国ではなく、「個人」だった。人格が無視され、「発令者の単なる道具」であったから「個人」の責任を軽くしてほしいという嘆願では、最終的に全員の命は救えなかったー。 〈写真:佐世保海兵団〉 (エピソード52に続く) *本エピソードは第51話です。