追悼・谷川俊太郎 あまりにも大きく、長くて広いその偉績を振り返る
あまりにも大きすぎて、あまりにも長すぎて、あまりにも広すぎる存在を人はなかなかそうとは気づけない。詩人として70年あまり活動し、その間に詩作にとどまらず絵本の執筆や童話の翻訳、そして『鉄腕アトム』の主題歌の作詞といった活動を通して日本人の生活に溶け込んできた谷川俊太郎について、どれだけの言葉を尽くしてもその偉績を語りきることは難しいだろう。 【画像】作品で振り返る、谷川俊太郎さんのあまりに幅広い偉績 2024年11月13日に谷川俊太郎さんが亡くなっていたことが、11月19日の朝に伝わるといろいろな作品を挙げて悼む言葉が世の中に溢れかえった。ある人は第4回日本レコード大賞で作詞賞を獲得した「月火水木金土日のうた」を挙げて、服部公一の楽曲に乗せて唄われる楽しげでどこかシュールな言葉を思い出していた。ある人はスヌーピーで知られる「ピーナッツ」の翻訳を挙げて、愛らしいキャラクターで綴られるどこか哲学的なストーリーを、分かりやすい言葉で理解できたことへの感謝を口にしていた。 絵本を挙げる人も多かったが、あまりにも著作が多すぎて、世代によって挙げる絵本も違っていた。1973年刊行の瀬川康男絵による『ことばあそびうた』(福音館書店)は、重なりながら変わっていくリズミカルな言葉が子供の想像力を刺激した。どこかラップのリリックのようでもあり、今読んでも新鮮だ。1977刊行の元永定正絵による『もこもこもこ』(文研出版)は、地面がもこっと膨らんだり、にょきっと伸びたりする絵が続く中で擬音だけが付いていく絵本だが、それが心地良いリズム感の中で変化していく世界を読む子供たちに感じさせ、楽しませた。 アニメ世代には真っ先に、手塚治虫の漫画を原作にしたTVアニメ『鉄腕アトム』の主題歌が浮かんだようだ。日本で最初の本格的な連続テレビアニメとして1963年から放送された作品で流れた主題歌は、アトムという主人公のロボットが持っていた力や優しさを伝えつつ、科学が持っている大きな可能性を分からせてくれた。日本で最初のアニソンともいえる主題歌は、今も世界中で歌い継がれている。もしかしたら「鉄腕アトム」と唄う歌詞は、同じ1963年放送の『鉄人28号』で三木鶏郎が作詞した主題歌と共に、主人公名を入れるアニメの主題歌を定着させた祖かもしれない。 そして詩作。詩人である以上はその詩集も多数あって、読んだ人の世代によって挙がる詩集も違ってくる。ただ、どの詩集なり詩作も手にして開けば、絵本や翻訳と同じ分かりやすい言葉で、複雑なレトリックをそれほど使わずストレートに繰り出される言葉が、意外な着想を綴って読む人をその宇宙へと引きずり込む。 デビュー作となった『二十億光年の孤独』、その表題作となる「二十億光年の孤独」がそもそも凄い。地球に生まれた地球人が火星人の存在を思い、火星にいるかもしれない火星人が地球人を思う可能性を示して宇宙にあふれた生命が求め合うだろう気持ちを綴っている。 2009年に第1回鮎川信夫賞を受賞した『トロムソコラージュ』(新潮社)に収められた「臨死船」は、あの世行きの連絡船に乗った人物の視線で、浮かび上がってくる様々な思い出が振り返られ、人生というものについていろいろと考えさせられる。2003年刊行の『夜のミッキー·マウス』(新潮社)に収録の「百三歳になったアトム」では、夢を追って突き進んでいたアトムがたどりついた野辺のような場所で、存在に思い悩む“老境”のアトムが描かれる。懐かしさと寂しさが混じり合った言葉が、あの主題歌から流れた時間を思い起こさせる。 子供が読む絵本とは違って、迷ったり悩んだりする言葉が詩集には多くなる。1982年刊行の『みみをすます』(福音館書店)に収録の「あなた」からは出会いの喜びと離別の寂しさが漂うところがある。それでも、言葉はどれもまっすぐで難しい解釈を経なくても心に伝わって来て、自分という存在が何かを考えるきっかけをくれる。もっとも、同じように短い言葉に乗せて自分を語ろうとしても、同じような言葉にはならない。選び抜かれ研ぎ澄まされた言葉を綴っているからこそ伝わる詩の心がある。そう思わされる。 こうした谷川俊太郎さんの影響が、創作の世界に何らかの影響を与えていることは確かだろう。童話であったり詩作であったり、それこそ『鉄腕アトム』の主題歌といったものも含めて、言葉の選び方や使い方、着想の豊かさを子供の頃に浴びて言葉づかいの基礎を得たり、飛躍する発想力を養ったりした結果が、日本の多彩な創作物の上に現れている可能性は低くないだろう。それが具体的にどれだと指摘することは難しい。人によって得てきた谷川俊太郎さんが、大きくて長くて広いその偉績の上に散らばっているからだ。 もしかしたら、平板な言葉を選んでリズミカルにつなげていく文法が、読みやすいライトノベルの上に現れているかもしれない。「二十億光年の孤独」のような遠くを思う気持ちが、ファーストコンタクトを描くSFとして結実しているかもしれない。翻訳を通した『ピーナッツ』の日本での普及がキャラクターの人気を今につないで、各地にショップができる状況をもたらしているかもしれない。「うんこ」「うんち」といった、人によっては苦手なものを詩にして身近にしたことで、詩の可能性を広げつつ世の認識を変えたかもしれない。そうした影響はきっと残り続けるだろう。繋がれてもいくだろう。 Noritakeのイラストで2019年に刊行の 『へいわとせんそう』(ブロンズ新社)に描かれた、同じ行列、同じ父親でもでも違う「平和」と「戦争」の姿に触れて、どちらを選ぶかを考える子供たちも、これからも登場してくるはずだ。「戦争が終わって平和になるんじゃない。平和な毎日に戦争が侵入してくるんだ。」という刊行に寄せた谷川俊太郎さんの言葉が、さらに染みてくるようになった時代だからこそ、残された著作の意義はこれからどんどんと高まっていくだろう。 大きすぎるし長すぎるし広すぎる谷川俊太郎さんの偉績だが、どこからどれに触れても何かを得られることは確かだ。改めてそのことを思い、振り返っていきたい。
タニグチリウイチ