百貨店大閉店時代でも盛況~「東京にある地方百貨店」
自宅でのご用聞きだけじゃない~令和の外商はここまでやる
銀座2丁目の交差点に立つと世界でも類を見ないブランドショップが立ち並ぶ。「シャネル」「カルティエ」「ブルガリ」……そして銀座松屋に入っているのが「ルイ・ヴィトン」だ。 フランスのラグジュアリーブランド「ルイ・ヴィトン」は2000年に松屋銀座に出店。以来、最高級の品質と洗練されたデザインのバッグやスーツケースをはじめ、アクセサリー、ウエア、シューズなど、3フロアに及ぶ国内最大級の売り場で展開。セレブたちから熱烈な支持を得ている。
銀座に店を構える松屋はセレブな顧客を多く抱えている。 外商とは富裕層など上顧客の自宅に出向き、商品を提案したり届けたりする百貨店独自の販売スタイル。松屋では自宅を訪問するだけでなく、銀座で買い物をする顧客のためにラグジュアリーブランドの路面店と提携し、アテンドまで行っている。 この日の女性顧客は2児の母親。ご主人は経営コンサルタントで自らも仕事をしている。外商部の藤原和幸が彼女を案内したのは「ティファニー」銀座本店。ニューヨークを本拠地とし、世界中で300以上の店を展開。銀座本店は1996年にオープン以来、多くの顧客に愛され続けてきた。 藤原は顧客のために特別なVIPルームを予約していた。ここなら気兼ねなくさまざまなジュエリーを実際に身につけることができる。 女性は新作で35万7500円の「ティファニー ハードウェア」リングを購入した。 「感無量です。明日から仕事に家事に育児に頑張ります」と、客は藤原に感謝する。こうして顧客との信頼関係を結んでいく。
創業家5代目が変革に挑む~老舗百貨店のサバイバル術
東京・浅草に松屋のもう一つの店舗「松屋浅草」がある。店内は銀座とは違ってアットホームな雰囲気。客のほとんどが地元の常連さん。「庶民的で、下町の感じは他の百貨店とは違う」と言う。 明治2年、山梨から上京してきた古屋徳兵衛が横浜に呉服店を開業したのが松屋の始まり。関東大震災後の1925年に銀座で百貨店を開店する。1931年には浅草で初めての百貨店をオープン。屋上遊園地を作り、家族で楽しめる場所として人気を呼んだ。 松屋の跡取りとして古屋が生まれたのは1973年。幼い頃から後継者への意識はあったという。 「家族には言われなかったのですが、周りには言われて育った。松屋に入らなくてはいけない雰囲気が常にありました」(古屋) 学習院大学を卒業後、経済の動きを知るため東京三菱銀行に入行。27歳で松屋に入社し、研修でアメリカに渡る。そこで古屋は自分の人生に疑問を抱き始める。 「日本にいると、松屋と跡継ぎの自分がセットで言われることが多かった。背番号がついていた感じがあるわけです」(古屋) 後継ぎとして与えられたレールの上を、ただ歩むことに疑問を感じたのだ。 そんな中、アメリカの友人のひと言が後継ぎの呪縛から解き放つ。それは「将来は百貨店の経営者か。いろんなことにチャレンジできるじゃないか!」という一言だった。 「アメリカに行くと松屋なんて誰も知らない。変に意識する必要もなく、自分は何がしたいのか、自分は何を持っているのか、僕にしかできないことが必ずあると感じ始めたんです」(古屋) 日本に戻った古屋は2013年、松屋銀座の本店長に就任。テナントとして入っている「ルイ・ヴィトン」の売り場面積の拡大を実現し、収益と集客を大きく伸ばした。 そして去年3月、社長に就任すると百貨店の常識破りに動き出した。9月には開店を1時間遅らせ11時に。他の大手と比べても最も遅いオープンだ。 「朝を活用していろいろなことをしている社員も多いので、それが『幸せな場を創造する』ことにつながっていると思います」(松屋銀座・河野新平) 休みは元日だけという百貨店の常識も破り、1月2日も休業にした。それまでの古い体質から脱し、風通しのよい職場作りに力を入れている。