元お茶屋のホテル、経営するのは京都生まれ人気ブログの開発者 意外な転身の理由
インターネットが普及した2000年代初頭に、爆発的に流行したブログ。新しい出会いや趣味につながった経験をした人は多いだろう。その代表的存在の一つ「はてなダイアリー」は、京都のベンチャー企業が開発した。生みの親は、はてな創業者近藤淳也さん(48)。2017年に経営から身を引いた後、意外な転身を遂げていた。 【地図】お茶屋を改装した「UNKNOWN KYOTO」がある京都市下京区
元遊郭・五條楽園(京都市下京区)にある大正時代のお茶屋を改装した、ホテルとシェアオフィスを備えた「UNKNOWN KYOTO」。カラフルな泰山タイルがレトロモダンな雰囲気を醸し出す洋風建築で、近藤さんは柔らかな笑みを浮かべた。
「ここは僕たちが共同経営している施設です」 はてなの起業は2001年、25歳の時。その頃、近藤さんはモラトリアム状態だった。京都大大学院で地球物理学を専攻するも中退し、自転車レースのカメラマンをしていたが天職とは思えず、将来を模索していた。 パソコンが各家庭に普及し始めた頃だった。実家の父がキーワード検索で目当てのホームページにたどり着けずに困っている姿を見て、利用者同士で質問や回答をやりとりする「人力検索はてな」のアイデアを思いついた。
友人2人と事業を始め、京都リサーチパーク(同区)に一坪オフィスを借りた。3人が入るのがやっとの狭さに、夢と希望も詰め込んだ。最先端の社会課題に挑む、京都大発のベンチャー企業として世間の注目を集めた。たが検索の利用者は思うように伸びず、パーク内の企業を必死に回り、ホームページの制作からシステム構築まで「できることは何でも」請け負って、しのぐ日々が続いた。
2003年、「はてなダイアリー」を開設すると、無料で誰でも簡単にブログが公開できるサービスが受け、利用者が一気に数十万人に伸びた。初めて自社事業で収益化でき、経営は軌道に乗り、翌年、株式会社に組織変更した。
東京にも拠点を設けると大手企業との共同プロジェクトが次々と始まり、社員数も増えていった。一方で、会社が大きくなればなるほど、近藤さんには技術者ではなく経営の手腕が求められるようになった。