「人生は安泰」という慢心を見抜かれた気がして… 大手ゼネコンを辞め、社員16人の家業に戻った「次期社長」の思い
◆後を継ぐ気は全く無かった
――現社長・南原在夏氏の長男で、子ども時代から「自分が後を継ぐ」という思いは持っていたのでしょうか? 正直、まったく意識したことはありませんでした。 子どもの頃は、プラモデルを作るのが大好きで、「ものづくり」には興味があったのですが、自分の人生と結び付けて考えたことはなかったんです。 承継を意識しはじめたのは、高校生になってからです。 社会情勢を理解できる年齢になり、不況で会社の行く末が厳しくなっているのを感じていました。 本音は、「会社の後を継ぐのは絶対に嫌だ」でした。 オフィス家具向けの部品というのは、どうしても景気に大きな影響を受けます。 私が経営者になっても、自分の力でできることは少ないのではないかと思っていました。 周りからは「将来は跡継ぎだね」と言われることもありましたが、心の中で拒否していた自分がいたんです。 ――そんな気持ちを抱えながらも関西大学に進学し、機械制御を学んでいますが、家業に大きく関係する分野を学んだ理由は何でしょうか? 先ほど言ったとおり、子ども時代はプラモデルが好きだったのですが、途中からミニ四駆などの「動くもの」に魅力を感じるようになりました。 だから、大学で機械設計や加工について学んだのは、あくまでも「自分の人生のため」ですね。 大学卒業後は、大手ゼネコン企業に就職しました。 そこでは機械系の職種として、施工管理や大型機械の設置計画を考える仕事をしていました。 その頃になっても、まだ「家業を継ぐ」ということはまったく考えていなかったです。
◆「自分のことだけ」ではいけない、「人の人生を背負う覚悟」を
――大手ゼネコン勤務という安定した職業から、なぜ家業である甲子化学工業への転職を考え始めたのでしょうか? 2017年に30歳になり、人生を見つめなおす時期に差し掛かりました。 将来のキャリアを考えると「今の仕事は、本当に自分が目指しているものなのだろうか」と悩むようになったんです。 そのときにかけられたある一言が、大きな転機になりました。 ――その“一言”とは? 伯母から言われた言葉なのですが、「自分だけが良ければ、良いわけじゃないんだよ」と。 本当に短い言葉でしたが、今思えば当時の私には、「大手企業から給料をいただいて、この先の人生も安泰だ」といったような、どこか慢心した態度が滲んでいたのだと思います。 そこを見抜かれた気がして、自分の今後についてあらためて考えさせられました。 そこで、「祖父や父は、いろいろなものを背負って生きてきた。でも、自分は何も背負えていないんじゃないか」と、人生を見つめなおしたんです。 ――創業者であるお祖父さまも「親族全体の暮らし」を背負って、甲子化学工業を創立したそうですね。 そうなんです。 私は「後を継ぐのは嫌だ」とずっと思って生きてきましたが、心のどこかで会社のことが気になっていたのも本音でした。 社会人として経験を積み、「今の私なら、会社のために何かできるかもしれない」と1年間よく考えて、甲子化学工業に入社する決意を固めました。
■プロフィール
甲子化学工業株式会社 企画開発部部長 南原 徹也 氏 1987年6月大阪府大阪市生まれ。2010年3月、関西大学を卒業し、大手ゼネコン企業に入社。建設現場での施工管理・大型機械の設置計画などの仕事に従事する。2019年、甲子化学工業株式会社に入社し、製造部に配属。2021年、新設された企画開発部の主任を経て、現職に就任。取っ手に触れずにドアを開閉できるアタッチメントや、ホタテの貝殻から作られた環境配慮型ヘルメット「ホタメット」の開発を手掛ける。
取材・文/庄子洋行