「ポスト石破」の“本命”、林官房長官の行く末 政界の119番「火消し専門」からの脱皮がカギ
政府与党内でも「群を抜く華麗な経歴」(自民幹部)の林氏だが、国民的知名度が今一つであることの理由は「用心深く、自己宣伝を嫌う性格」(同)だからとみる向きが多い。官房長官就任1年目の前日の12月13日、官邸での定例会見で記者団から感想を聞かれた林氏は、手元の答弁メモを読み上げる形で「内閣の要として国政全般にわたって政権を支え、危機管理、政府のスポークスマン、政府部内や国会との総合調整などの職責を果たすことに全力を尽くして参りました」と語り、首相就任への意欲を問われても「この会見は官房長官の立場で臨んでいるものです」と口をつぐんだままだった。
■8度の入閣もほとんど「緊急リリーフ」役 防衛相、農林水産相、文部科学相、外相など8度の入閣経験を誇る林氏だが、就任の経緯をみると前任者の辞任などによる緊急登板が極めて多い。現職の官房長官も、2023年12月に自民党旧安倍派を中心とする、いわゆる巨額裏金問題で、同派幹部だった当時の松野博一官房長官の更迭を受けてのリリーフ役だった。 さらに、昨年10月1日に誕生した現石破政権での官房長官続投も、「水面下での曲折を経ての人事だった」(官邸筋)とみられている。というのも、「石破首相は当初、総裁選での石破陣営の参謀格だった岩屋毅氏(現外相)を官房長官としたい考えだったが、森山裕幹事長ら党幹部が林氏の続投を求めたため断念した」(同)というのが“真相とされるからだ。
もともと石破首相と林氏は「極めて親しい関係」(同)で、自民が野党だった旧民主党政権下では約2年間にわたり「石破政調会長・林政調会長代理」として“共闘”した。さらに、昨年9月の総裁選でも「政策分野では石破、林両氏の主張が重なる部分も多かったことが、最終的に石破首相が林官房長官を決断した背景にある」(自民幹部)ことは間違いない。 そうした経緯にもかかわらず、少数与党という「宙づり国会」での、「内閣の大番頭としての活動が極めて限定的」(同)なのは、「政権内での林氏自身の立場が影響している」(政治ジャーナリスト)とみる向きが少なくない。そもそも林氏の与野党人脈は、5期にわたる参院議員時代に作り上げられたものが大半で、「衆院議員としては外相、官房長官として党務から遠ざかっていたため、党運営や国会対策は森山幹事長に委ねるしかない」(官邸筋)のが実態とされる。