集団的に起こる心因性反応、病の背景には社会状況―スザンヌ・オサリバン『眠りつづける少女たち――脳神経科医は〈謎の病〉を調査する旅に出た』養老 孟司による書評
◆「身体を介した言語」社会を反映 著者はアイルランド出身の英国の神経科医で、主題は集団的に起こる心因性反応である。著者も注意するように、この場合の用語の使い方は難しい。うっかりすると読者に偏見を与えてしまう。古い人なら集団ヒステリーというかもしれない。はっきりした医学的所見、つまり生物学的な徴候が捉えられず、検査の結果「なんでもありません」と言われてしまうような状態である。老人の私が日本で思い出す例と言えば、光化学スモッグで、女子高校生が多く発症した事件くらいか。医学生の時、東大医学部の精神科の授業でアイヌの集落に生じた事例を習った記憶がある。本書では日本の例は挙げられていない。ほぼ各章が世界各地での類似した「事件」を扱っている。著者はそれぞれの地元に赴き患者や家族に直接インタビューする。その行動力は驚くべきもので、まずそこに敬服する。各地の症例をなにより自分の目で直接に見ようとする。効率を重視する現代では、利口な研究者はこうしたやり方は採用しないと思う。病の背景にはその時の社会状況があるという著者の思考からすれば、現地に旅行しその雰囲気を知ることが肝要なのである。 第一章はスウェーデンに難民申請者として入国した家族の二人の娘で、数年にわたり眠ったままの状態が続いている。この家族はヤズィーディーというイラク、シリア、トルコに住む少数先住民族で、伝統的な宗教的信条のため、故国で長らく迫害を受けてきた。いまは難民申請が受け入れられるかどうかという半端な状態に置かれており、娘たちは学校に通い、スウェーデン語を話す。 “私は神経科医としてふたりを訪問したが、彼女たちについて考えれば考えるほど、また、さまざまなことを学べば学ぶほど、それだけふたりの問題を神経学的問題として、あるいは医学的問題としてさえ見なくなった。ふたりの寝室に立っていたときに自分の無力さを感じたのも、まさにそれゆえだった。あきらめ症候群という言語の話しかたを、私はまだ習得できていない。この言語は、発病した少女たちに自分の話を語ることを可能にしている。それなくしては、彼女たちは声なき存在になってしまうだろう。” 著者は眠り続けるという二人の症状を、身体を介する言語に類した表現としてとらえており、それが自分には十分に解読できないと嘆いているのである。 第二章はグリシシクニスと題され、米国に住むミスキートと呼ばれる人たちの病。元来はニカラグアのモスキート・コーストに住む先住民で、グリシシクニスはこの人たちに固有の疾患、震え、呼吸困難、トランス状態、けいれん等の症状を呈する。著者はテキサスに移住したミスキートの病を丹念に調査報告する。 第三、四章はカザフスタンのクラスノゴルスキーとカラチで、旧ソ連時代に鉱山町として国家の保護を受け栄えたが、今ではひどくさびれつつある町での「奇病」について語る。 第五章はキューバの米国大使館での音響兵器事件、集団心因性疾患がストレスを受けている閉鎖集団で生じやすいので、いわゆる「少数の」人たちの集団のものと思われやすいことから、そうではなく、米国国務省のエリートたちにも同様の疾患が生じることを示す。 [書き手] 養老 孟司 1937(昭和12)年、神奈川県鎌倉市生まれ。1962年東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。1995年東京大学医学部教授を退官し、2017年11月現在東京大学名誉教授。著書に『からだの見方』『形を読む』『唯脳論』『バカの壁』『養老孟司の大言論I~III』など多数。 [書籍情報]『眠りつづける少女たち――脳神経科医は〈謎の病〉を調査する旅に出た』 著者:スザンヌ・オサリバン / 翻訳:高橋 洋 / 出版社:紀伊國屋書店 / 発売日:2023年04月28日 / ISBN:4314011971 毎日新聞 2023年5月27日掲載
養老 孟司
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