「嫌われ者」がSNSで勝ち進んでいく 「オールドメディア」は「偏向報道」批判にどう向き合うか
熱狂と嫌悪の渦中にあった人々
東京都知事選、自民党総裁選、兵庫県知事選などで見られたのは、あっという間に「有力候補」が転落する、あるいは「人気者」と「嫌われ者」の立場が逆転する光景だ。また同時に多くの場合、「分断」と「対立」の構造も見られた。同じ人物についてある人は救世主のように称賛し、別の人は売国奴のようにののしる。もちろん昔から「親自民」「反自民」といった対立は存在したのだが、最近の対立の激しさ、変化の速さに戸惑う方も少なくないはずだ。 【写真を見る】「2024年9月、日本中が熱狂」 2カ月ほど前のことなのに、記憶の彼方…
ノンフィクションライターの石戸諭さんは新著『「嫌われ者」の正体 日本のトリックスター』の中で、複数の政治家を取り上げている。ここで言う「嫌われ者」とは「誰からも嫌われている人物」ではなく、「熱狂と嫌悪の対立構造の中心にいる人物」を指す。 同書で取り上げた政治家は、吉村洋文氏(大阪府知事・日本維新の会代表)、山本太郎氏(れいわ新選組代表)、ガーシー(東谷義和氏=元参議院議員)。いずれも熱狂と嫌悪の渦の中に身を置いている、あるいは置いていた存在といえるだろう。 ついこの前まで誰も知らなかったような人物があっという間に渦中の人となり、評価が暴騰し、暴落する。そんな光景が繰り返されることが、国益につながるのかは甚だ怪しいものの、ネットやSNSの影響力が大きい中、もはやこの傾向は変わらないという見方は強い。
「偏向報道」か? 「適切な批判」か?
「嫌われ者」が世の中を変えていく――そんな時代に、情報の受け手として私たちは何を意識すべきなのか。『「嫌われ者」の正体 日本のトリックスター』の著者、石戸さんに聞いた。 「まず、今のメディア環境で、常に意識しないといけないのは『人は見たい現実を見る』という、思考の癖というか偏りを誰もが持っているということでしょう。同じニュースに接しても、人によって見え方や印象が変わってくる。その人物が好きな人にとっては『偏向報道』でも、嫌いな人にとっては『適切な批判』になる。この分極化する傾向はもう変わりませんし、より強まっていくでしょう。テレビや新聞、雑誌しかなかった時代と異なり、誰もが同じものを見ているという前提はとっくに崩れています。みんなが見えている光景が違うという前提からニュースを組み立て直すことが必要です」