水深60mの戦没船から遺骨16柱…太平洋戦争の激戦地トラック諸島で30年ぶり調査
厚生労働省は、太平洋戦争の激戦地・トラック諸島(現ミクロネシア連邦チューク州)で14~27日、戦没船から遺骨の収集を行った。水深約60メートルの深さに沈み、通常の潜水では作業が困難だった民間からの徴用船「愛国丸」を30年ぶりに調べた。(加藤学) 【動画】トラック諸島沖に沈んだ「愛国丸」から遺骨を収容
海中に眠る愛国丸の鉄骨には海中生物が付着し、長い歳月の流れを感じさせた。同船での調査は1994年以来で3度目となる。太陽の光が差し込まない船内は真っ暗で、潜水士は白色のライトで先を照らしながら入り込んでいく。体に強い負担がかかるため、一人の潜水士ができる作業は一日1回、20分以内と短い。遺骨を見つけ、拾い上げると、船内に堆積(たいせき)していた泥が舞い上がり、視界を遮る。
潜水士の一人は「時には出口を見失い、焦ることもある」と語る。発見した遺骨はしっかりと胸に抱えて引き揚げた。
今回の調査では16柱の遺骨が収容された。その中には頭部、下あごや大腿(だいたい)骨などもあり、現地で鑑定した明海大の坂英樹教授は「状態が良く、DNAの検出も期待できる」と話す。厚労省は遺骨を日本に持ち帰っており、DNA鑑定で身元の特定を進める。
戦時中、トラック諸島には日本海軍の拠点が置かれており、1944年2月17~18日、米空母部隊の攻撃を受けて約40隻の艦船が沈められた。
「父、母と同じ墓に」帰還祈る遺族男性
「愛国丸」に乗り組んでいた機関兵の父を亡くした岡山市の松岡俊郎さん(83)は「父の遺骨を母と同じ墓で一緒に眠らせてあげたい」と願う。
<俊郎が順調に成長しているとの事。こんなにうれしいことはない><一日に何回も写真を出して見て居る。何回見ても可愛(かわい)いものだ>
松岡さんは、父・忠三郎さんが戦地から送ってきた約50通の手紙を今も大切に保管している。
松岡さんが生後2か月だった1941年8月、忠三郎さんは軍に召集された。中国への派遣を経て、民間から徴用された輸送船「愛国丸」の乗組員になった。