『マウンテンドクター』とその他の医療ドラマの違いは? 杉野遥亮が体現する“希望”
歩(杉野遥亮)に過ちを理解させた真吾(向井康二)との対峙
事故をうまく消化できない歩に、何が間違っていたかわからせたのは真吾(向井康二)だった。第8話の真吾の予想が的中した形となり、あらためて友の言葉が胸に沁みただろう。回を追うにつれて深まった絆は、緊迫した1対1の場面の真剣な対峙として結実した。 『マウンテンドクター』をその他の救命ドラマから隔てているのは、山という舞台設定がもたらす特有の条件だ。それは命を救うことを使命とし、生命の尊厳を掲げる医療ドラマの命題と反する性質を持つ。すなわち救えない命があるという事実だ。「死者ゼロ」というミッションは、宇田(螢雪次朗)が亡くなった第5話で早くも挫折した。限られたリソースしかない山で救える命には限界がある。だからこそ、江森が語るように「救えない命」を見極め、あえて「救わない命」を選別する状況も出てくる。 江森のシビアな認識と比べれば「山で誰かを失う思いはしたくない」という歩の願いは現実を無視した甘い考えに見えなくもない。けれども、そこにある種の希望を見出すのも事実だ。山が人生の象徴であるとして、誰もが自らの人生に夢や理想を抱いている。失敗や挫折は世の常として、誰もがやり直せる社会、誰ひとり置き去りにしない社会こそ、私たちが望んでいるものだからだ。山の厳しい環境で、たとえ遭難しても生きて帰ること。歩が自身の思いを貫けるかを、試練を与える山々は見つめているのではないだろうか。
石河コウヘイ