平手打ちで政治家人生を大きく変えたフランスの新首相、難局打開なるか
フランスの政局の先行きが混沌としている。ミッシェル・バルニエ前首相が就任からわずか90日で辞任。エマニュエル・マクロン大統領は、12月13日、新たな首相に中道派のフランソワ・バイル氏を任命した。 混乱が生じているそもそもの原因は7月7日に決戦投票が行われた国民議会(下院)選挙で、どの政党の連合も過半数の議席を有しない宙づり議会、いわゆる「ハング・パーラメント」の状態に陥ったことだ。 6月8日から9日に行われた欧州議会選挙では、マクロン大統領の与党会派が右翼の「国民連合(RN)」に大敗を喫したのを受けて、同氏は解散総選挙を決断。だが、与党会派は第3党に転落し、賭けは裏目に出た。 マクロン大統領は新たな首相に、英国の欧州連合(EU)離脱をめぐる交渉でEU側の首席交渉官をつとめ、「タフ・ネゴシエーター」と称されたバルニエ氏を起用したが、国民議会で財政の大幅な削減を盛り込んだ2025年予算案の審議が難航。 バルニエ氏は議会で採決せずに首相権限で法案を成立させるのが可能なことを定めた憲法第49条3項を発動したが、野党の左派・新人民戦線が強く反発して内閣不信任案を提出した。 RNもこれに同調して不信任案は可決。これを受けてバルニエ氏はマクロン大統領に辞表を提出した。シャルル・ド・ゴール元大統領の提唱で1958年に「第5共和制」が始動して以来、最短命の首相になった。 後任のバイル氏はフランスの政界でもよく知られるベテランの政治家。マクロン大統領が率いる「再生」と与党連合を組む中道政党「民主運動」の党首である一方、フランス南西部の都市、ポーの市長も務める。 フランスのテレビ局「フランス2」は市民に街頭でインタビューを行い、バイル氏の評判について「落ち着いている」「知的」「頑固」などと毀誉褒貶が相半ばしていることを報じた。 同氏は1993年から1997年に共和党(当時)のアラン・ジュペ首相の政権下で教育相を歴任。マクロン氏には忠実な人物として知られており、2017年の同大統領体制スタート時に司法相を務めた。また2002年、2007年、2012年と過去3回にわたって大統領選に出馬した実績もある。 ◾️俺のポケットから盗むな 今回、バイル氏の首相起用を伝えるフランスの多くのメディアが、「彼の演説よりも記憶に残る出来事」「誰も忘れないシーン」などと挙って取り上げたエピソードがある。 2002年の大統領選挙戦でドイツ国境に近いストラスブールのメノー地区を訪れた際、治安の悪さを訴えて10代の若者たちと話し合いをしていたとき、ある「事件」が起きた。 バイル氏のそばにいた11歳の少年が同氏のポケットに手を入れたところ、バイル氏は「俺のポケットから盗むな」と言って平手打ちをしたのだ。少年がそれを否定すると、「そうだ、君は僕のポケットからすったんだ」と続けた。 平手打ちを受けた少年はそれ以降、「バイル」というあだ名で呼ばれるようになった。10年後の2012年、少年は暴力と警察に対する侮辱の罪でストラスブールの裁判所から禁固4カ月の刑を言い渡された。 一方、当時のフランスのテレビ局は映像を交えて平手打ちを大きく報道。バイル氏の行動に選挙スタッフらは「政治家にとって暴力を振るうほど悪いことはない。これで彼の政治家としてのキャリアも終わるだろう」などと頭を抱えたという。 ところが、この件をきっかけに、彼の政治家人生は大きく変わった。「無名」などと揶揄されていた彼の世論調査での支持率は急上昇。「妥協を許さない性格」などと好印象を持つ有権者が増えた。2002年大統領選の1回目では6.84パーセントの票を獲得。 「長らく得票率が3パーセントを下回っていた人物としては大変誇らしい数字だった」(フランスのテレビ局「BFMTV」)。2回目の出馬となった2007年の大統領選では得票率が18.57パーセントに達し、第3位となった。