「残酷すぎる」と抗議殺到で以降は中継自粛…ラッシャー木村が当日まで秘密で決行した日本初の金網デスマッチが賛否【週刊プロレス昔話】
「週刊プロレス」40周年を記念し、力道山時代から現在に至る歴史的名勝負を多数収録した決定版書籍『日本プロレス名勝負大全集~昭和・平成・令和の激闘史』(ベースボール・マガジン社)が好評発売中だ。 【衝撃写真】“ミスター・デンジャー”松永光弘、初の電流爆破デスマッチで救急搬送
1960年代後半以降、ジャイアント馬場&アントニオ猪木を擁する老舗の日本プロレスとシ烈な興行戦争を繰り広げていたのが国際プロレスだった。国際は1970年秋のシリーズに、ファン投票1位の未知の強豪外国人(スパイロス・アリオン)の参加を決めていたが、日本プロレスの妨害工作によって初来日がとん挫。 興行の売りを失った国際は、苦肉の代案として日本初の金網デスマッチ開催に踏み切った(10月8日、大阪)。アメリカ武者修行から凱旋を果たしたばかりのラッシャー木村の売り出し策でもあった。デスマッチ開催は当日まで秘密扱いで、多くのマスコミや関係者は開催から6日後のテレビ中継で初めてそのことを知った。 試合で木村は大流血しながらも持ち前のタフさを存分に見せつけ、対戦相手の怪覆面ドクター・デスをKO。放送局のTBSには「残酷すぎる」という抗議が殺到したため以降の金網デスマッチの中継自粛を余儀なくされたが、金網デスマッチは大きな話題を呼び、その後、国際の興行の目玉として定着していった。
週刊プロレス編集部
【関連記事】
- デスマッチファイターの沼澤邪鬼がギャンブル依存症を告白! 大日本プロレスは退団…登坂栄児社長いわく水原一平氏と「ケタは1つしか違わないぐらい」【週刊プロレス】
- 日本初のランバージャックデスマッチはクリーン決着で終わるも…新日本プロレス歴史街道50年(33)【週刊プロレス】
- 日本マット初の釘板デスマッチも! アントニオ猪木の新春黄金シリーズ…新日本プロレス歴史街道50年<7>【週刊プロレス】
- 日本デスマッチ史上屈指の凄惨な場面…金村ゆきひろが炎へのパワーボムで大やけど【10月31日は何の日?/週刊プロレス】
- 【女子プロレス】18歳の元アイドルレスラー、鈴季すずが批判上等、流血必至のハードコア&デスマッチに挑む理由