J1首位町田に“ポスト平河”早くも登場!! 再三ドリブル突破で魅せたルーキーMF芦部晃生、“憧れ”の横浜FM戦で爪痕残すJ1デビュー
[7.20 J1第24節 町田 1-2 横浜FM 国立] FC町田ゼルビアにとってホームゲーム史上最多となる46401人が詰めかけた国立競技場でのビッグマッチで、“ポスト平河”の呼び声高い大卒ルーキーが堂々のJ1デビューを飾った。その名はMF芦部晃生。後半33分から左ウイングバックで途中出場した23歳は得意のドリブル突破で次々に横浜FMの守備網を打開し、黒田剛監督も「すごく良かったと思う」と称えるパフォーマンスで終盤攻勢の主役となった。 【写真】伊東純也がイメチェン「やっぱこうでなくちゃ」「カッコいい」 2001年生まれの芦部は今季、関東学院大から加入した大卒ルーキー。特別指定選手として登録されていた昨季は出番なしに終わったが、今季は6月5日のルヴァン杯プレーオフステージ第1戦・C大阪戦(◯2-1)で後半終了間際にプロデビューを果たすと、同12日の天皇杯2回戦・筑波大戦(●1-1、PK2-4)でプロ初先発から45分間プレーし、着実に出場機会を掴んできた。 しかし、ここまでの2試合は出番を掴んだ充実感よりも、力を出し切れなかった悔しさのほうが大きかったという。そのため、J1デビュー戦のテーマは本領発揮。「せっかくいただいたチャンスだし、今まで天皇杯もルヴァンも出させていただいて何もできなかったので、ここでもできなかったら自分の価値はないと思っていた。何か印象を与えてやろうと思ってプレーした」。その野心は高いパフォーマンスとなって表れた。 芦部の入った後半33分からチームは3-5-2のシステムに変更しており、託されたポジションは左ウイングバック。0-2で負けていたこともあって、芦部はボールを持つたびにストロングポイントのドリブル突破を仕掛け続けた。 「J1デビュー戦というのは頭になくて、どうにかしてこの負けている状況、流れを変えようかということを考えていた」。J1カテゴリでは無名の存在だが、相手守備陣を引き寄せながら打開する姿は鮮烈なサプライズに。次第にファン・サポーターからの歓声を一身に集め、その存在が反撃ムードを高めていった。 ドリブルを警戒してくる相手には背後へのフリーランも随所に見せ、後半40分に決まった一矢報いるゴールも、芦部の抜け出しによる相手クリアボールで獲得したスローインが起点。また終了間際にはセットプレーのこぼれ球から果敢なミドルシュートで惜しい得点機会も作り、終盤の反撃の主役を担ったといっても過言ではないほどの出来を見せた。 ▼特別な思いで挑んだ横浜FM戦 そんな芦部にとって、この一戦にはもう一つ特別な意味があった。昨季まで在籍していた関東学院大は横浜FMと提携関係にあり、過去には練習参加やトレーニングマッチでの対戦を経験。さらに日産スタジアムでボールパーソンを務めたこともあり、「町田に決まる前は憧れのクラブだった」という。 「ボールボーイをしていて、見ていて面白いサッカーだなと思っていたし、いちファンとしてもお世話になったクラブ。大学の監督・コーチもマリノスのアカデミーの方々だったし、この試合はどうしてもメンバーに入りたいなという思いだった」。特別な夢舞台でのJ1デビューだったようだ。 もっとも試合を終えてみると、憧れの舞台に立った達成感よりも結果が伴わなかったことへの悔しさが残ったという。 「自分の特徴はドリブルで積極的に仕掛けるところ。それを監督、コーチにも求められていたし、なんとか得点、アシストで結果を残せればよかった。ドリブルをしても自分からボールが離れた時にどうなっているかというのを意識している。どの点でいうと得点、アシストが欲しかった」 「自分がドリブルでいくら剥がせても、クロスを上げてどうなっているか、シュートを打ってどうなっているか、パスを出してどうなっているかが大事。自分からボールが離れた時が価値だと思っているので、それでいうと全然満足していない」 ドリブル突破がゴールにつながるかどうかは味方のパフォーマンスにも左右されるものだが、向き合うのはあくまでも結果。「ドリブルで1枚、2枚剥がすところは回数も多かったし、そこはやれたと思う」と持ち味には手応えを掴みつつも、「結局自分のところで何もできなかったというのは相手が一枚上手だったのかなと思う」と冷静に現状を見つめていた。 ▼高校時代は控え選手 そんな芦部だが、中学・高校時代を過ごしたベガルタ仙台のアカデミーではなかなか出場機会を得られなかったという悔しい過去を持つ。 当時はプロを目指していたというより、単なる憧れの存在。思い出の選手として千葉直樹、関口訓充、奥埜博亮といった名前を次々に挙げる中、奇しくもJ1デビュー戦のタイミングで同時投入された今季J1初出場のFW中島裕希もその一人だったという。 そんな芦部の転機となったのは大学時代。高校3年の春に母親を亡くし、一時はサッカーから離れる時期も経験したが、関東学院大の練習参加を紹介され、飛び込む決断をしたのが始まりだった。 「夏くらいまで練習もしていなくて、そのタイミングで関東学院に行って拾ってもらった。コンディションも良かったわけではないし、何か引っ掛かるものがあってとってくれたと思うけど、本当に感謝しかない」 「大学ではこの4年間でプロになれなかったらその先はないなと思っていたし、自分の中でこの4年間、勝負しないといけないなと心を新たに、体づくりもサッカーのところも一生懸命に取り組んだ。入部した頃は関東1部・2部で戦える選手ではなかったので、大学4年間が自分にとって本当に大きな4年間だったなと思います」 そうした地道な努力は今季、町田加入後に出場機会が巡ってこない時期にも役立っていたようだ。 「大先輩の裕希先輩であったり、高橋大悟くんであったり、今季試合に出ていない選手でも自分より上手い選手が多かった。そういう選手から盗むというか、自分はそういうタイプだと思う。ここ上手いなとか、ここ真似したらいいのかなというのを常に考えながらプレーしてきました」 ▼平河悠という存在 そうした日々において欠かせなかったのがもう一人、チームメートとして切磋琢磨してきたMF平河悠(ブリストル・シティ)の存在だ。 学年は平河のほうが一つ上だが、互いに「悠」「晃生」と呼び合う関係性で、芦部にとっては「最初に会った時から合うと思っていた、いいお兄ちゃんみたいな感じ」という間柄。黒田監督は試合後、芦部と平河の関係性について「平河悠を信頼しながら、彼のプレーを見習いながら、ここまでパートナーを一緒に組みながらトレーニングをする姿があった」と印象的なエピソードを明かした。 芦部にとって、平河と共に過ごした日々は輝かしいものだったようだ。 「1対1のところは普段から自主練でやっていたし、相手との駆け引きは悠と対峙している中でいいものを盗んだりできたんじゃないかなと思う。自分がこれから試合に絡んでいくためには守備の強度。悠を見ていたら90分間縦横無尽に走れる、あの姿を自分ができるようになったらもっとチャンスが来るんじゃないかなと思う」 「(自主練習では)どっちも足が速いのが特徴なので、こっちにずらされたら嫌だなというのは一緒にやる中で感じることは多かった。あとは(平河の)映像を見て、ここに行けたらすごいなとか、ここを剥がせたらチャンスになるよなというのを意識して見ていた」 そんな芦部にとっては、平河のイングランド移籍で自らのチャンスが広がった形。それでも「一選手として目標でもあったし、尊敬している部分はあった。一緒に試合に出たいなというのがあったので、悠がいなくなるのはどっちかというと寂しさが強い」と複雑な思いものぞかせる。 もっとも、平河の穴が簡単に埋まらないからこそ、チーム内では“ポスト平河”への期待が高まっている。芦部自身も「悠がいなくなったぶん、自分がやらなきゃいけないのかなというのはファンの方からも言われることが多くなったし、何かをやらないとなという自覚は少しずつ持っている」と徐々に使命感を持ち始めているという。 そんな芦部には黒田監督も「もう少し守備でしっかりと切り替えて、強度高くできるようになれば平河に引けを取らないドリブルでの怖さを出せる選手」と“ポスト平河”として太鼓判を押し、「国立という舞台であれだけ物怖じすることなく、いいパフォーマンスをしてくれて、我々の見方としても彼を評価できるポイントとなった。今後、いい活用の仕方を考えながらチーム作りをしていきたい」と断言。今後も継続的に起用していく見込みを明かした。 芦部自身もそうした指揮官の期待を背負い、まずはチームが重要視する守備のタスクと向き合いつつ、着実に成長を遂げていくつもりだ。「まずは自分の結果ももちろんだけど、ここからJ1で優勝するというチームの目標があるので、少しでも自分のプレーで貢献できたらなと思います」。一足先に世界へと飛び立っていった仲間の存在も刺激にしつつ、後半戦の主役に名乗りを挙げる。