伝説の脚本家・向田邦子の最高傑作を是枝裕和監督がリメーク! 洒脱な人間ドラマ「阿修羅のごとく」
グレーな部分をグレーなままにする洒脱さ
このドラマにおけるアクセントが、三女・滝子と四女・咲子の関係性だ。勉強はできるがモテなかった滝子と、モテるけれど勉強ができなかった咲子は、性格も生き方も正反対。互いにコンプレックスを刺激され、妬み、そねみの感情もあり、顔を合わせるたびに場の空気が険悪になってしまう。 滝子と咲子がお互いに放つ言葉はむき出しだが、だからといって愛情がないわけではない。その証拠に、咲子がボロボロになったとき、滝子は誰よりも胸を痛め、咲子を傷つけた「敵」に牙をむくのだ。友人同士だと縁が切れてしまえばそれっきりの関係も、姉妹だからいやが応でも続き、このようなドラマが生まれるのだろう。 意識的だとしても、無意識だとしても、語られる言葉がすべて本音とは限らない。会話劇でせりふが多いにもかかわらず、多くの作品でクライマックスとされうる「本音はこうですよ」「これが事実ですよ」という種明かしをせず、グレーなことをグレーなままにする洒脱(しゃだつ)な作劇に、人間の計り知れなさが浮かび上がる。それこそが、「阿修羅のごとく」の人間ドラマとしての醍醐味(だいごみ)だ。 Netflixシリーズ「阿修羅のごとく」は2025年1月9日より独占配信。
映画ライター 須永貴子