コロナ禍で奪われた祖父、父、息子、三代で甲子園の夢
静岡県の知徳高校を率いる初鹿文彦監督。2つの高校を甲子園出場に導いた名将を父に持ち、ドラフト候補を輩出する強豪でもあるが、就任時から人間教育に目を向けたチーム作りを行ってきた。思いが届かず、チーム内で様々な問題がたびたび起こり、高野連から処分を受けたこともある。それでも自身のスタイルを貫いてきた。(矢崎良一:フリージャーナリスト) 【写真】プロ注目の小舟翼投手。身長198cm、体重110kg、MAX152kmの大型右腕だ 「野球部の目標、野球をやる目的としては、これは学校の教育目標でもあるのですが、野球を通じて人間性を作り、社会に貢献できる人間、期待され愛される人間を育てる。もちろん甲子園には行きたいですが、そこを逸脱してまでやる必要はないと私は思っています」と文彦はきっぱりと言う。 「人柄野球」にこだわるようになったきっかけがある。 監督に就任したばかりの頃、主将と寮長を兼任していた部員がいた。ある試合でデットボールを受ける。当たった場所が悪く、かなり痛そうだった。やんちゃなところのある子だったが、「ありがとうございます」と言って、手を叩いて一塁に向かった。 また、外野を守っていた別の選手は、守備位置に就くと、小石が落ちていたら拾ってポケットに入れた。試合中、何度も拾うので、試合が終わるとポケットが石で膨らんでいた。決して野球の技術はないチームだったが、そんな選手たちと野球をしていることが楽しくて仕方がなかった。「ウチはこういうチームで行こう」と心に決めた。それで勝ちたいと思った。 父の勇からは、「お前は本当に甘っちょろい」とたしなめられることがよくあった。勇も監督時代、選手の人間性を重視していたが、教員ではない専業監督だった分、勝負に対してはシビアだった。練習は一年中休みもなかったし、3年間一度も試合に出られずに終わる選手も多かった。気がつくと、父とは真反対なチーム作りをしていた。 今思うと、どこかで父から脱皮できた時があったような気がしている。「父親でもあるし、恩師でもあるし、やっぱり監督のやってきた野球、その足跡は残したいと思うんです。でも、親子だからこそ見える部分もあって、『ここは変えていかなきゃいけない』というのもありましたから」と言う。 学校の中で先生に嫌われたり、周りから批判をされるような選手を使ったら、最後は負けるという信念があった。みんなに愛されて、学校や地域の人に応援されて、という選手たちで勝たなければ意味はない。もしそれで負けても、自分に納得ができる。ただ、毎年、最後の夏の大会では、2、3回戦あたりで負けている。それで彼らは本当に幸せなのか。強いジレンマがあった。 「選手ファーストを貫きたい。でも、それで勝てなければ意味がない。やっぱり勝ちたいですから。悩みました」と葛藤した心境を打ち明ける。 「監督(勇)は本当に昭和の人で、練習でも、休んでる時間なんてない。とにかく量をやりこむ。そうやって鍛えてきたので、ここ一番での強さとか、土壇場の粘りのあるチームになっていたんです。そういう良いところは継承しつつも、選手たちが監督の言うことを『はい』『はい』と聞いているだけのチームにはしたくなかった。彼らが自分の意見を言いやすかったり、自分たちから考えて動けるような環境を作ってあげたくて」