フィリピンの韓国人社会と長老派教会の老牧師
イースターのミサ、老牧師の“ハレの日”
3月31日。李牧師の招きで長老派神学中高&大学(Presbyterian Theological College & University)で開催されたミサに参列した。この学校は中学・高校課程から始まりその後大学も増設された。李牧師は韓国長老派教会及び米国長老派教会の支援の下でこの学校の開設準備から現在に至るまで運営責任者の1人であるという。 ミサでは生徒の音楽隊による伴奏で讃美歌を歌い、それから米国長老派教会の白人の牧師が英語で説教をした。数人が説教した後でミサの事務局を勤めた李牧師が紹介され拍手を浴びた。老牧師にとり35年の労苦が報われた晴れがましい瞬間であろう。 ミサの後で米国長老派教会の信徒の懇親昼食会に招かれた。説教した白人牧師、白人やラテン系の信者もいたが、米国信徒の多くは朝鮮戦争後に米国に移住した韓国人であった。60代から70代の女性が多かった。彼らはロサンゼルスの長老派教会の信者仲間で、観光を兼ねてフィリピンの長老派教会の活動に参加しているようだ。キリスト教を軸に形成された在米韓国人社会の一端を垣間見た昼食会だった。
フィリピン在留韓国人総連協会パラワン支部
4月13日。パラワン島のプエルト・プリンセサ市内を散歩していたらハングル文字の看板が見えた。韓国食品雑貨の店である。店の横にはUnited Korean Community Association(韓国人会協会連合)と英語表記されハングル表記はピルリピン(フィリピン)・ハンイン(韓人)・チョンヨン(総連)・ヒョプエ(協会)と読めた。韓国人総連協会のパラワン支部らしい。 お邪魔すると中年の韓国女性がおりハングルで挨拶するとご主人を呼びに行った。奥から出てきたのが韓国人会パラワン支部長の金相基(キム・サンギ)氏である。放浪ジジイと同年の70歳。初対面で金さんの面倒見の良い明るいお人柄がうかがわれた。 金さんはソウルの建設会社で技師をしていた。26歳の時にマニラ近郊のローコスト住宅建設プロジェクトに現場監督として派遣された。プロジェクト終了後にソウルへ戻ったが34歳の時に建設会社を辞め一家でマニラに移住。マニラで十数年間建設関係の仕事をした。 二十数年前に自然環境の良いパラワン島に移り韓国食品雑貨の店を開いた。コロナ前は韓国人会パラワン支部の会員は200人ほどいたがコロナ禍で韓国に帰った人が多く現在は50人程度。今後徐々に韓国から戻ってくるらしい。 金さんの両親は戦前日本で学んで父親は早稲田大学、母親も東京の女学校を卒業。戦後も日本に残り、父親の日本人の親友が福岡にいたこともあり一家は戦後の一時期福岡に7年住んでいた。それで金さんも若干の日本語を覚えている。金さんが小学校に上がる頃に一家は韓国に引き揚げた。従って金さんは大学卒業まで韓国で教育を受けた戦後生まれ韓国人だ。つまり反日教育最盛期に成長して3年間軍隊で鍛えられた世代だ。 金さんの1人息子は中国天津大学卒業のエンジニア。現在息子一家は米国在住。息子は韓国語、タガログ語、ビサヤ語、中国語、英語の5カ国語を話すと息子自慢。金さん夫婦の楽しみは夫婦で米国の息子一家を訪ねることだ。金さん一家3代のファミリー・ヒストリーから明らかなように韓国人は日本人よりも国民気質が国際的である。
フィリピンの辺境でのシニア世代の日韓友好
金さんによるとプエルト・プリンセサには20人ほど日本人が暮している。彼らはリタイヤしたシニアであり毎週土曜日は日韓対抗でゴルフを楽しんでいるという。金さんの趣味は釣り、ゴルフ、射撃。平日は釣り、土曜日はゴルフ、日曜日は射撃クラブという羨ましいルーティーンだ。韓国食品雑貨のお店は奥様とアルバイトに任せっきりらしい。釣り好きの日本人もいるのでしばしば一緒に所有しているボートで沖に出る。なんともアクティブな古希世代である。 こうした草の根の日韓交流を通じて両国民の相互理解が深まることを期待した。 以上 次回に続く
高野凌