中村勘九郎・七之助が語る 亡き父・勘三郎さんから孫に継がれる中村屋の“芝居愛”
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2012年に57歳で亡くなった十八世・中村勘三郎さんの十三回忌を追善する公演『猿若祭二月大歌舞伎』が、2月26日まで歌舞伎座で上演されています。今回、息子である歌舞伎俳優の中村勘九郎さん(42)と、中村七之助さん(40)にインタビュー。中村屋の家族の絆と、受け継がれる歌舞伎愛を明かしてくれました。 【画像】『十八世中村勘三郎十三回忌追善 偲ぶ会』 松本潤ら1140人が出席
■誰にも愛された歌舞伎俳優 父・勘三郎さんの人柄
立役から女方、さまざまな役柄を演じてきた十八世・中村勘三郎さん。歌舞伎を知ってもらうため、若者の街・渋谷にある劇場で『コクーン歌舞伎』を始めたり、江戸時代の芝居小屋を再現した『平成中村座』を現代風に復活させたりするなど、歌舞伎の普及に尽力してきました。熱心で、飾らない人柄は多くのファンから愛される一方、伝統をつないでいく者として、息子たちには厳しい姿を見せることもあったといいます。 ――勘三郎さんは生前、どんな歌舞伎俳優でしたか? 勘九郎:友達とか同級生とかに見せたくなるよう役者です。一言でいうとね。 七之助:父は、祖父(十七世の勘三郎さん)のことを僕たちに“じじちゃま”と言っていたんですけど、その祖父の芝居を見て「俺は小学校の頃、じじちゃまの芝居を友達に見せたかった。絶対に面白いから見に来てと言ってたんだ。俺もそういう役者になりたいし、なっているだろう」って言っていました。 ――厳しい一面もあったそうですが、いかがでしたか? 勘九郎:やはり芸を愛していましたし、真剣に立ち向かい闘ってきた人ですから、理想とかけ離れた場所にいる時は、それはもう烈火のごとく。 七之助:今はほら、コンプライアンスがね…。話せないことだらけ(笑) 勘九郎:でも、誤解しないでほしいのが、うちの父親、いいときは、もう死ぬほど褒めてくれるんですよ。ダメな時はダメだし。だから信用できる。『連獅子』という演目に、手を取る振りがあるんですけど、良くない時は、手を握ってくれないんです。お客様には分からないように。 七之助:目も見てくれないんです。 勘九郎:本番中、それはもう怖かったですね。でも、いい時はぎゅーって握ってくれるんです。 七之助:そのときのうれしさなんてね。“このためにやっていた!”って(笑) 本当に父の芝居を見ていると、“こうなりたい”という尊敬しかなかったので、僕は女方ですけれども、“こういう役者になりたい”というようなことしかなかったので、いくら厳しくても全然理不尽ではなかった。そういった厳しいことを言ってくれたおかげで、今の2人がいると言っても過言ではないのでね。 ――父としては、どんな姿でしたか? 勘九郎:家でも芝居の話しかしないです。僕なんかは、学校から帰ってきたら「今日どうだった? 部活どうだった?」っていう会話が普通じゃないですか。 七之助:「部活どうだった?」なんて聞かれたことないよ!(笑) 勘九郎:そう、僕らが何をしていたかも知らないと思う。帰ってきたら芝居の話。ご飯食べていても芝居の話。でも、それ以上に話が面白かった。 七之助:主導権って言っていいか分からないけども、一発目に口火を切るってことは100%なかった。最初に「(芝居は)どうだった?」っていうところから始まって、「じゃあ俺の芝居じゃなくて、序幕から振り返っていこう」って序幕から全員に感想を聞いて、「俺はこう思う、ああ思う」ってどんどん膨らんで、「あの映画見た?」とか芝居の話が99.99ぐらい。あとはゴルフ。ゴルフと芝居の話しかしなかったね。