レクシー・トンプソンが引退表明 「疑惑のリプレース」「スロープレー」…トラブルで大魚を逃し続けた波乱のゴルフ人生
「7歳でゴルフは試合を意味するものになった」
今年の全米女子オープンは笹生優花が2021年大会に続く2度目の勝利を挙げ、渋野日向子が単独2位に入るなど、日本勢の活躍が目覚ましかった。 【動画】笹生優花のウイニングパットに拍手喝采の渋野日向子 これが実際の映像です
もはや開幕前の出来事が忘れられてしまいそうだが、米国出身のビッグスター、レクシー・トンプソンが今年限りで引退する意思を表明したことは、世界のゴルフ界を大いに驚かせた。 2007年にパインニードルズで開催された全米女子オープンに12歳で出場し、大きな注目を浴びたトンプソンは、自身18回目の出場となった今年の全米女子オープンを引退発表の場として選び、笑顔で臨んだ会見では、感極まる場面もあった。 「5歳でゴルフは私の人生になり、7歳でゴルフは試合を意味するものになった。それは素晴らしいことでした」 そう語った一方で、「アスリートが人生で、どんなことを乗り越えているか。それは人々には分からないと思う」と、意味深な言葉も口をついた。 初日は78、2日目は75を喫し、通算13オーバーは予選カットラインに5打及ばず、予選落ちとなった。 「私が求めるゴルフではなかった。でも、ボギーが続いていても、大観衆は私の一打一打に『ゴー、レクシー!』と応援してくれて、今週はスペシャルウイークだった」 落胆と喜びが混じり合っているような複雑な表情だった。そして彼女は「人生からゴルフを引き算することに、わくわくしている」。その言葉にも、やはり深い意味が込められているように感じられた。 ゴルフ界に彗星のように現れ、天才少女と呼ばれたトンプソンのキャリアは、眩しく輝いていたその陰で、さまざまな苦労や苦悩もあったのだろう。彼女が見せた複雑な表情、そして笑顔と涙は、波乱万丈だった彼女の歩みの反映だったように思う。
「距離のことは、すべてキャディーに聞きます」
トンプソンの歩みを振り返れば、12歳で全米女子オープンに出場し予選通過を果たした彼女は、10年に15歳でプロ転向。11年には16歳で初優勝を遂げ、史上最年少優勝記録(当時)を塗り替えた。しかし、年齢制限により12年まではツアーの正式メンバーになることはかなわなかった。 キャリアの始まりにはそんなトラブルもあったが、14年にはクラフト・ナビスコ選手権(現・シェブロン選手権)を19歳で制してメジャー初優勝を挙げた。15年には世界ランキング4位まで上昇した。 しかし、17年のANAインスピレーション(現・シェブロン選手権)では、優勝争いの真っ只中にいたトンプソンが最終日のバック9をプレーしていたときに、TV視聴者からの指摘で3日目の17番の彼女のボールのリプレースの仕方が問題視され始め、最終的にルール委員は彼女に4罰打を課した。挙句、彼女はプレーオフで惜敗。そのルール事件はその後も物議を醸し、トンプソンへの批判や誹謗中傷は最近も続いていた。 19年には、ショップライトLPGAクラシックを制して通算11勝目を挙げたが、それがトンプソンの最後の優勝になるとは、あのときは彼女自身も周囲も想像すらしていなかったことだろう。 しかし、その後の彼女は、まるで勝利の女神に見放されたかのように、勝てそうで勝てないの繰り返しとなった。 笹生優花が畑岡奈紗をプレーオフで下して勝利した21年全米女子オープンでも、最終日を首位で迎えたのはトンプソンだったが、彼女はプレーオフに絡めず、3位に終わった。 翌年の全米女子プロでも、トンプソンは上がり3ホールを2打差でリードしていたが、スロープレーによる罰打を課され、2位タイに終わった。 ノースリーブのウエアを好み、肩と腕を大胆に露出しながら戦ってきたトンプソンだったが、手の故障も加わった近年は、大胆な装いと反比例するかのように、プレー中の表情は曇りがちだった。 しかし、どんなときもトンプソンは毅然としていた。 笹生に敗れた21年全米女子オープンから数週間後、トンプソンは東京五輪に米国代表として出場。しかし、3日目のラウンド途上で、彼女のキャディーが霞ヶ関カンツリー倶楽部の猛暑にやられてリタイアとなり、残り3ホールはその場に居合わせた米LPGAのスタッフが、最終日は米TV中継スタッフの1人が臨時キャディーを務めた。 その2週間後、全英女子オープンに出場したトンプソンは、東京五輪でリタイアしたキャディーを「解雇した」と、きっぱり言い切り、すでにスコットランドの地元キャディーを伴っていた。 それは彼女なりのプロとしての厳しい判断だったが、同時に、それまではあまり知られていなかった彼女の流儀も明らかになった。 「私はヤーデージブックを持たないので、距離のことは、すべてキャディーに聞きます」 試合中の距離に関することは100%キャディーに依存するというトンプソン。だからこそ、熱中症で突然キャディーを失ったことは、彼女にとっては、距離判断がまったくできなくなったことを意味していた。 「ティーイングエリアに記してある何ヤードという看板を見て、『ああ、何ヤードぐらいなんだな』と思うぐらいしか、あのときの私には、距離は分からなかった」 それほどまでに距離判断をキャディーに頼る選手は珍しい。だが、その一方で、トンプソンがキャディーに尋ねるのは「ピンまでの距離と球の落としどころの2つしかない。それさえ聞ければ、あとは自分がその通りに打てばいいだけのこと」。 そんなふうに、選手とキャディーの作業や役割を完全に分業化し、シンプル化する姿勢は、自身の仕事とキャディーの仕事の双方をリスペクトする彼女なりのプロフェッショナリズムの表れだった。