レクシー・トンプソンが引退表明 「疑惑のリプレース」「スロープレー」…トラブルで大魚を逃し続けた波乱のゴルフ人生
「だから会見は嫌だって言ったのよ……」
スポンサー企業に感謝と尊敬の念を示し、社会貢献にも積極的に取り組んできた姿勢にも、トンプソンのプロフェッショナリズムが見て取れた。
米女子ツアー選手仲間のモーガン・プレッセルが創設したプレッセル財団による乳がん撲滅のためのキャンペーンやイベントには必ずトンプソンの姿があった。 16年には地元フロリダで米男子ツアーのジミー・ウォーカーとジョイントでチャリティートーナメントを開き、「教育を受けることができない子どもたちに学びの機会と場を提供してあげたい」と語った。 米国の軍隊に対しても深い感謝と尊敬の念を示し、「私はいつも、乳がん撲滅キャンペーンのピンバッジと負傷兵を救うキャンペーンのピンバッジの両方を、試合会場に持っていく」。一時期の彼女は、土曜日には乳がん撲滅キャンペーンのシンボルカラーであるピンク色のシャツ、日曜日には軍隊へのサポートの意を込めてカモフラージュ・ブルーのシャツに身を包み、勝利を目指して戦った。 キャディーへの依存の仕方も社会貢献も、自分なりの流儀を確立し、実践していくところがトンプソンらしかった。 「育ててもらった社会に恩返しをしたい。ギビングバックを実践してきたナンシー・ロペスやアニカ・ソレンスタムは私の理想です」 LPGAのマイク・ワン会長によると、米国のジュニアゴルファーのうち女子選手が占める割合は10年前は15%程度に過ぎなかったが、「今では36%になり、全米の1000以上のハイスクールがゴルフを授業に取り入れている。サッカーと同等の普及ぶり」だそうで、トンプソンこそはその最大の貢献者だと賞賛していた。 今年、現役最後の全米女子オープンを終えたトンプソンは「今週はアナタと家族にとって、どんな意味があったか?」と問われると、抑えていた感情が溢れ出し、「だから会見は嫌だって言ったのよ……」と顔を歪め、涙を流した。 拍手と賞賛、眩しい光を浴びてきたトンプソンは、苦しみや悲しみ、悔しさはひっそりと噛み締め、公の場では、笑顔を輝かせながら毅然と振る舞ってきた。 ずいぶんと片意地を張り、無理もしてきたことだろう。29歳での引退は少々早いようにも思えるが、「5歳からゴルフは人生になった」と振り返った彼女にとって、四半世紀は、きわめて長かったのだろう思う。 今、彼女にかけてあげたい言葉は「お疲れさま。ゆっくり休んで」の一言以外には、見つからない。 文・舩越園子 ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学客員教授。東京都出身。百貨店、広告代理店に勤務後、1989年にフリーライターとして独立。1993年に渡米。在米ゴルフジャーナリストとして25年間、現地で取材を続け、日本の数多くのメディアから記事やコラムを発信し続けてきた。2019年から拠点を日本へ移し、執筆活動のほか、講演やTV・ラジオにも活躍の場を広げている。
舩越園子(ゴルフジャーナリスト)