じつは「電車のマナー」は昔より良くなっているのに、なぜ乗客たちは「イライラ」しているのか
「規範劣化」言説の持つメッセージ
実際、現在では、過去の日本社会のほうがより劣悪な環境であり、モラルも高くはなかったことを指摘する議論も多い(『「昔はよかった」病』新潮新書、2017年などのパオロ・マッツァリーノの諸著作や大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど』新評論、2013年など)。 ただし、本書は、「昔のほうがマナーはひどかった」とだけいいたいわけではない。問題は、鉄道規範が劣化しているという言説が――事実とはいいがたいにもかかわらず――なぜずっとくりかえされてきたのかである。このことは、2010年代以降、「実は昔のほうがひどかった」という暴露戦略がなぜ定番化したのかという問題とも関係するだろう。 まず、劣化言説が「間違っている」と指摘してもあまり意味はないだろう。むしろ、事実ではなかったとしても、劣化言説がどのような機能を果たしているのかを考えることが重要である。本書で注目したいのは、規範の劣化言説の中身が事実かどうか(=言説内容)よりも、それをいうこと(=言説行為)によって、どのような意味や効果を発生させているのか、である。 まず、規範が「劣化している」と述べることは、発話内容として正確ではなくとも、発話自体による効果をもっている。たとえば、ある状況において誰かが「危ない!」と誰かに叫んだとしよう。その発話の宛先が自分ではなかったとしても、また実際はそれほど危険な状況ではなかったとしても(つまり正しい状況認識ではなくとも)、周りにいる人たちは、驚いてその状況から回避しようとすることがある。 つまり「規範が劣化している!」という言説は、事実はどうあれ、それが発話されることそのものによって「規範を守ろう!」というメッセージとして受け取られることがあるということだ。しかも、すくなくとも発話者は「規範は劣化している」と思っているからこそ、新聞・雑誌、書籍・冊子、インターネットなどを通じて、積極的に「規範を守るべき」というメッセージを発信する。 こうして鉄道規範の「劣化言説」、そしてそこで前提とされる「規範を守るべき」という言明は、メディアを通して拡張し、反響していくことになる。そう考えると、「劣化している」という発話がくりかえされるということは、その発話内容とは裏腹に、規範の言明がきちんと流通していることの表れになる。その意味では、鉄道における「規範の劣化」言説、およびそれにともなう各種マナーの広がりは、メディア現象でもある。本書の記述は、メディアを通じて生真面目に鉄道規範に関する警鐘が鳴らされ続け、鉄道利用者もそれを愚直に受け止め続けてきた歴史ともいえる。