“先住民発”の重要作 リリー・グラッドストーン主演『ファンシー・ダンス』が世界に放つ声
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』で映し出されたかつての“地獄”がいまもまだ存続
そんなジャックスは、妹が行方不明になった後、妹の娘であるロキの親代わりになって、彼女を育てながら独自に捜索を呼びかけていた。しかし、ジャックスの過去の犯罪歴が問題となり、ロキはあまり会ったことのない祖父のもとで暮らすことを余儀なくされてしまう。ジャックスの父親でもある祖父は白人であり、いまは白人の後妻と一緒に暮らしていた。 ジャックスと妹は、白人社会の文化を選ばず、居留地で先住民の文化を尊重しながら生きてきた。ロキもまた、ファンシー・ダンスなどの踊りを練習し、文化を継承している存在だ。しかし白人の祖父母と暮らすことで、彼女は先住民の文化と切り離されることになってしまう。このように、アメリカにおいて支配的である白人文化の影響によって、過去の文化的遺産が引き継がれなくなってきている現状も、本作は問題にしている。 劇中で印象的なのは、先住民のカユーガ語で「おば」は、「もう1人の母親」という意味があることが明かされる場面だ。アメリカの白人の文化、法律のなかでは、伯母は伯母として扱われ、ジャックスとロキもその区分を受け入れている。しかしカユーガ語の意味から類推すると、先住民の文化のなかでは、ジャックスは母親としての権利を持っているはずであり、ロキもまたジャックスを母親だと思っても良いはずなのである。現実の社会でそうできないのは、一つの家族のかたちが、他の文化の力によって塗り替えられてしまっていることを示唆しているのではないか。 題名の「ファンシーダンス」とは「風変わりな踊り」という意味で、アメリカ先住民が羽飾りなどで着飾って集団で踊るダンスだ。これは主に「パウワウ」と呼ばれる、昔から先住民の間で続く集会、お祭りのなかでおこなわれるもの。この風習は先住民の文化として、もちろん現在も存在している。 父親の家からロキを連れ出したジャックスは、ロキにその「パウワウ」で母親と会えると説明し、密かに妹の手がかりを追ってゆく。だが、なんと自分の父親に通報され、二人は追われる身となってしまうのだ。皮肉なのは、ジャックスの妹の行方不明事件には警察もメディアも無関心だったのに、白人の家庭から子どもが連れされると、途端に警察が出動し、ニュースで大々的に報道される事態になるということだ。『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』で映し出された、かつての地獄は、いまもまだ存続しているのである。そんな極限的な状況のなか、果たしてジャックスは妹を見つけ出し、ロキを母親と対面させることができるのか。その結末は、本編で確認してほしい。 本作がアメリカ先住民の問題だとして、日本人は対岸の火事のように思うかもしれない。だが、例えば沖縄で米軍兵士が日本の女性を暴行する事件が絶えず、それがなかなか大きな問題として扱われないことで、被害者やその家族が泣き寝入りを強いられる状況が続いているというのも、本作で描かれる先住民の居留地での出来事に近いものがあるといえるのではないか。 強い者たちの都合の良い方向に、弱い者たちが合わせなければならないのが、いまの世界の現実なのかもしれない。しかし、そんなやり方は横暴であり、不公正であるという声を発することは重要だ。もしその努力をやめれば、いつまでもこの状況は変わることがないだろう。本作『ファンシー・ダンス』は、まさに弱い立場にある先住民たちが、先住民の目線で作り上げ、世界に放った“声”そのものなのである。
小野寺系(k.onodera)