「会計時に自然と涙が」不妊治療の末、コロナ禍で長女を授かった内山信二「自分でもとまどいました」
不妊治療の末に授かった長女。コロナ禍だったため、出産後もなかなか対面もできなかったとタレントの内山信二さんは言います。会計時に、ふと無事に産まれたことに対して思いがこみあげ、涙が止まらなかったそうです。(全5回中の1回) 【写真】「目元はママ似?」内山家4人のお食い初めカット公開(全15枚)
■思い詰めない気持ちでクリニックへ ── 2児のお子さんを持つ内山さん。不妊治療をされたとお聞きしました。 内山さん:もともと結婚願望が強くて、できれば20代前半で結婚して、9人は子どもがほしいと思っていたんです。でも、実際に結婚したとき、ぼくは38歳で奥さんは32歳。ぼくが60歳になったとき、子どもは成人してしまうので、できるだけ早く子どもがほしいねと話していました。ただ、ぼくたちは自然妊娠では子どもができにくいらしいということがわかって。そこで奥さんとクリニックに行き、体外受精をすることになりました。
── それはやはり大きな決断だったのでしょうか? 内山さん:聞こえは悪いかもしれないけれど、あまり重く受け止めず、どんなものかとりあえずノリで行ってみようよ、という感覚でしたね。あまり考え込みすぎるのもよくないと思っていて。不妊治療でうまくいかないつらさは少なからずわかるし、子どもを授かることがすごく大事なことだとは思うけれど。でも、やっぱりそれがすべてじゃないとぼくは思うから。もし、子どもができなくても、それはもうしょうがない、そのときは違う楽しみを見つけられたら、という気持ちでした。
あまり変な知識を入れていくのはやめようと思って、あえてあれこれ調べずにクリニックに行きました。クリニックの書き込みを見たりしていると、いいことが書いてあることって少ないじゃないですか。口コミってやっぱりマイナスなことを書きがちだから。そういうのを見ると「やっぱりやめよう」と思ってしまいそうで。「不妊治療の勉強がてら、気軽な気持ちで一度行ってみようよ、そこでできなかったら、またそのとき考えよう」くらいの感じでいたんです。そうしたら、ありがたいことに1回目で授かって。