「都会から来た人に騙される」「冷やかし」岡田武史、FC今治オーナー就任時の“逆風”告白→いかに地元の信頼を得たのか?
日本サッカー界で屈指の実績を誇る名将も、地方都市で受け入れられるのは簡単ではなかったようだ。愛媛県のFC今治で代表取締役会長を務める岡田武史、そして関係者たちが、12月28日に公開されたドキュメンタリー『岡田武史 今治奮闘10年史 #1』で明かした。 【映像】秘話満載「岡田武史 今治奮闘10年史」 日本代表監督としてワールドカップで二度指揮し(1998年と2010年)、横浜F・マリノスでは二度のJ1リーグ制覇も成し遂げている岡田が、FC今治のオーナーに就任したのが2014年11月。しかし、当初は風当たりがかなり強かったという。本人は当時をこう振り返る。 「都会から来た人に騙されるんじゃないかと、どうしても警戒心があるんですよね。どうせ有名人が来てちょちょっとやってすぐ帰るんだろうとか、お前は今治のことが何もわかってないんじゃ、今治じゃそんなことは無理なんじゃと、散々言われましたよみんなに」 岡田は車にポスターを貼って街中を走ったり、駅でビラを配ったり可能な限りの行動を起こしたが、「なかなか受け入れてもらえなかった。そう簡単じゃなかった」という。 後にクラブのエグゼクティブパートナーになる地元企業『今治造船』の代表取締役社長・檜垣幸人も、「(岡田が)日本代表監督だったというのは当然知っておりました。しかし、今治に来ても、我々地元の人は『冷やかし』かなと見ておりました」と当時の心境を明かした。 しかし、檜垣社長は「岡田さんは常に夢を語る、面白い方なんです。それに我々も惹かれるし、何かサポートしようとなった。そしていつしか、岡田教にハマってしまったわけです」とコメントしている。 岡田は「小さなことを地道に続けた。俺たちのスタッフには、今治の地元の人間に誰も知り合いがいなかった。スタジアムに来てくださいって言うのではなく、俺たちが(地元コミュニティーに)に入っていかなきゃいけない。フットサルチームに入ってみたり色んなことをやる中で、徐々にみなさんが我々を受け入れてくれるようになった」と振り返り、さらに次のように続けた。 「5、6年と続ける中で、『まだ帰らない』、『どうも本気らしいな』とやっと思ってもらえるようになった」 こうした地元の信頼を得たFC今治は、四国サッカーリーグから、JFL、J3リーグとカテゴリーを駆け上がり、2024年にはJ3リーグで準優勝。ついにクラブ史上初のJ2リーグ昇格を勝ち取ったのだった。 (ABEMA/岡田武史 今治奮闘10年史)
ABEMA TIMES編集部