『無能の鷹』は“説教臭くないお仕事コメディー” 原作との比較でみえる根本ノンジの脚本力
原作があるドラマを見る上で、原作をどう扱ったか、原作ファンの反応はどうかは重要な評価ポイントの一つだろう。その点でいえば『無能の鷹』(テレビ朝日系)は、ドラマから作品を知った視聴者には好評な一方で、原作ファンからの反応は肯定的な意見と否定的な意見に二分している印象を受ける。 【写真】「これでいいのだ」よくわからないが“満足げ”な菜々緒と高橋克己(5枚) 実は筆者も、第1話、第2話の時点ではそこまでしっくりきていなかった。鷹野のポンコツさが、見た目の力でクライアントに好意的に受け取られ、結果的に良い影響を及ぼすという謎の爽快感をもっとテンポよく見せてほしいのに、そこに至るまでの描写が長く、冗長的に感じていたのだ。1時間枠だと長すぎたのだろうか、30分枠の方が作風に合っていたのではと、やや否定的な目線を向けていた。 その感想は、第3話で裏切られることになる。第3話で描かれたのは、鵜飼朱音(さとうほなみ)と鵙尾弓(土居志央梨)の確執と仕事観の違い。社内相関図を作り、出世を目指す鵜飼の等身大の苦悩が丁寧に描かれ、それをなぜか鷹野が華麗に解きほぐしていく。第4話では会社に過度な期待をしない中堅社員・雉谷(工藤阿須加)、第5話では部下に感謝と謝罪ができなくなり、老害街道一直線の朱雀(高橋克実)がメインとなり、その立場だからこそ抱える悩みを、時間を使ってたっぷりと膨らませていく。そして口を出すわけでも、直接的な行動を起こすわけでもない鷹野が、それらすべてを解決してしまう。どれも原作のエピソードを組み合わせていることには違いないが、上昇志向のある女性社員、諦念に包まれた中堅社員、無意識に老害力を発揮する管理職、そして新入社員、TALONの営業部で働く全ての立場のドラマを順に取り上げていくことで、日々仕事をして生きる視聴者も共感しやすい物語に仕立てられていた。ドラマの狙いはここにあったのかと合点がいった。 1話完結している別々の原作エピソードをあえて取り上げていることからも、鷹野のキャラクターの面白さよりも、TALONで働く人の悲喜交々をメインにしたいという思惑があったことがうかがえる。複数のエピソードを繋げつつ、一話ごとに視聴者が自分の仕事に持ち帰りたくなるような余韻が味わえるようになったことで、全ての働く人に寄り添う“説教臭さのないお仕事コメディー”というこれまでにないジャンルを確立していった。まさに、華金にお酒を片手に笑いながら観たいドラマといえるだろう。 原作の、鷹野を中心にモノローグ主体で展開される、どこかシュールな空気感が好みの人からすると、ドラマ版は雰囲気が異なり、原作のエピソードがあっさり扱われているという印象を持つかもしれない。一方で、ドラマが描いているようなさまざまな立場の働く人の苦悩も、原作の魅力の一つであることには違いない。今回の実写化は、そのエッセンスを抽出し膨らませ、より見応えが出るように調整が加えられたものと受け取れる。これはひとえに、原作ものドラマを数多く手がけてきた根本ノンジの脚本力によるもの。原作のなかにある“働く人の悲喜こもごも”といういまドラマ化すべき要素を取り出し、脚色して連続ドラマとして成り立たせたことで、鷹野のキャラを中心としたコメディーではなく、“ゆるいお仕事コメディー”としての魅力が際立ったのだ。 漫画やドラマの楽しみ方に正解はない。その作品のどこに魅力を感じるのかは人それぞれで、だからこそ実写化に対しての評価も分かれる。一方で、実写化がその作品への入り口にもなることも事実。原作をそのまま忠実に実写化するよりも、ある一点を際立たせた方が、原作の魅力がより伝わることもある。『無能の鷹』はそういった点で、実写化の成功例の一つということができるだろう。 ちなみに、TELASAではスピンオフとして原作の人気エピソードを実写化。原作のシュールな雰囲気、鷹野と鶸田(塩野瑛久)のバディの活躍が見たいという人は、こちらに手を出してみるのもいいかもしれない。
古澤椋子