「映画の面白さはもっと多様であってもいい」映画『ルート29』森井勇佑監督が語る、2本目の監督作品に込めた思いとは?
「人間以外の存在が蠢いている世界の中にいる2人を撮りたい」細部までこだわられた演出について
―――ハルが時計店を訪れるシーンでは、背景に映る人たちの足取りが不自然なくらいゆったりしています。やはり狙ってやっておられますか? 「そうですね。鳥取の駅前で、のり子が改札のところを走るシーンから、背景の人の動きに変化をつけようという狙いがありました。 普通、エキストラの方にお芝居をつける場合、2~3人をセットにして指示をさせていただくことが多いんですけど、今回は、エキストラ一人ひとり、全員に違う動きをつけようと。 ご指摘のとおり、ハルが時計屋を訪れるシーンでは、背景を歩いているエキストラの人たちの足取りがゆっくりになって、ハルが時計をゲットして店を出てからはさらに遅くなって、のり子が走って来た時には完全にストップする。その流れは考えていました」 ―――物凄く細かい演出をなさっていると思い、感動しました。ロングショットによって世界を広く縁取るというスタイルに関係する話だと思うのですけど、本作では鳥や犬、虫といった、人間中心の世界において端に追いやられているものへの視線が際立っています。その辺りも意図的に撮られていますか? 「はい。おっしゃるとおりだと思います。人間以外の存在が蠢いている世界の中にいる2人を撮りたい、というのは凄く思っていて、それを表現する方法は、やはり具体的に映すことに尽きるなと。動物も虫も具体的に映したいなっていう思いがありました」 ―――もしかすると、インタビューの最初に伺った、森井監督が中尾さんの詩集を初めて読まれた時の感覚と、今お話しになった、人間以外の存在をフレームに取り込んでいくという姿勢には、関連性があるのではないでしょうか。 「あると思います。さっき言いそびれちゃったんですけど、中尾さんの詩集を読んだ時、言葉の連なりを追っていく中で感じたのは、具体的な情景じゃないんですけど、“ざわざわ”したものに取り囲まれた世界を歩いているような感覚だったんです。その“ざわざわ”を表現するためにどうすればいいのか。それが根底にありました」 ―――普段生活をしている時には知覚されないものが、詩を読んでいる時に「気配」として感じられる、という感覚には身に覚えがあります。 「詩にはそういう力がありますよね。それを映画に変換できないかなと思ったんです。“ざわざわ”した世界の中に2人が“ぽつんといる”という感じにしたかった」 ―――その“ぽつんといる”感じと、メガネの取り合わせがとても面白いと思いました。 本作が描く“ざわざわ”したものに取り囲まれた世界において、メガネのフレームはある種人間であることの拠りどころになっているという感じがします。 「なるほど。そういう見方もできるかもしれないですね。そもそも、目が悪くない人ってあんまいないよって思うんです(笑)。映画って何も考えずに作っていたら、メガネをかけていない人ばかりが映ることになってしまうんですけど、現実ではコンタクトなりメガネなりをしている人は凄く多くて。僕は『人間といえばメガネ』って思っているのかもしれない」 ――― 一人ひとりの見え方はそれぞれ違うのだけれども、メガネやコンタクトによって補正して、知覚のモードを人間社会に合わせるということですよね。 「確かにそうですよね。社会で生きるためになんとかピントを合わせようとしている」